威風堂々

春から社会人

時間が経つのが早い

定期的に言ってる気がしないでもないが、時間が経つのは本当に早い。これはよくする話なのだが、私は高校時代自分がセンター試験を受けているという像が想像できなかった。予備校のCMではよくセンター試験や2次試験を想定しているであろう映像が使われるが、あそこに自分がいるというのが想像できなかったのだ。それでもあっさりとその時点は過ぎ去ってしまった。

京都に来てから3回目の秋がやってきた。これもまた信じられないことだ。今もまだそうだが、やっぱり私は自分が就職して働いているという像を想像できないでいる。だがコロナで遅れた就活もほとんどの人が終わっている時期だろう、次は自分達の代の就活という時期にもう差し掛かっている。就活もそうだが、秋になったということは私が京都で過ごす夏もあと1回しかない。これもまた全く実感がない。そもそも一人暮らしを始めたのもまだ2年半前のことでしかないのだが、何となくこのままバイトをしながら大学に通って京都で一人暮らしをし続ける気持ちから抜けられないがそんなことはあるわけなく、あと1年半もしないうちに私は東京に戻って会社勤めをすることになるのだ。大学生活が2年半過ぎたことを考えればこんなのは本当に目と鼻の先にあるだろう。

私はあんまり未来に対する思い入れがない。というかこのまま生きていても特別いいことがあるとも思えないのであまり期待していないのだ。今すぐに死にたいとも思わないが、この先苦しんだり、悩んだりすることもきっと多いだろうし、そういうことを考えた時にこの先自分が体験する喜びが勝るだろうかと考えれば恐らくそんなことは無く、割に合わないように思う。ただ生きてただ死んでいくんだろうなという漠然とした思いがある。そう思えば残りの人生が60年もあるのは馬鹿馬鹿しくさえ思える。

代わりにと言ってはなんだが私は過去に執着するタイプらしい。卑近な話ではあるが、やっぱり自分よりも前にバイト先にいたアルバイトが辞めていくのは悲しい。過去はそこに自分が存在する前から確かにあったもので、それが今の自分の存立に関わっているという意識があるからだと思う。逆に自分よりあとから入ってきたアルバイトが辞めたとしても仲が良ければ寂しいとは思うだろうが、別に仲が良くなければなんとも思わないだろう。バイト先のスーパーという観点から見たときに、「私がバイトしているスーパー」以前に「バイト先としてのスーパー」の時間は流れていたわけでそこに関わっていた人に思いを馳せてしまう。

私は未だに高1の合宿を思い出すし(これは人生で最大級に楽しい体験のうちの一つだった)、高2の文化祭も、結局過去ばかりである。振り返ることも大事ではあるが、こう後ろ向きにばかり生きているのも我ながら良くないなと思いつつもこれは性分なので仕方がない。こんなことを書いている暇があるなら勉強しろ。