威風堂々

春から社会人

健康長寿が幸せとかいう押し付け

日本は平均寿命がとても長いので私が平均的な日本人ならばあと60年以上は生きることになるのだが、正直なところそんなに長く生きていたくない。別に晩年を病気で苦しみたくないとかそういうことでは無いのだ。仮に死ぬまで健康であっても私はあと60年も生きていたくない。

 

今どき初等教育から健康で長生きすることは素晴らしいことであるという価値観の刷り込みが行われている。日本の学校、特に義務教育はそういう制度だからしょうがない面はあるが、結局画一的な人間を作り出すことに終始している。個性がーって叫ばれる時代ではあるが学校教育からして無個性人間を作る方向に進んでいるのだからどうしようもない。話が逸れたが、その無個性の中の一つとして健康長寿の価値観もある。現に日本では健康長寿が誇りに思われているし、確かに生まれてすぐ死んでしまうよりは遥かにいいことなんだろうとは思う。

 

でも考えてみれば、22歳で就職すれば残りの人生のうち40年以上を仕事をして過ごすことになる。いずれ死ぬ人生の中で本当にそれが幸せなのかというのは私はずっと疑問に思っている。じゃあ仕事をしなければいいのかという話は当然に出てくるが、それもまた違うように思う。私はアルバイトをしているが、やはりアルバイトのない日が数日連続すると時間を持て余す。暇なことは苦痛なのだ。することがあればいいが、特に今なんかは外出することが是とされない情勢なのでそうすると特にすることも無いまま家にいることになる。やることがないわけではないが、同じことをし続けるというのも娯楽じゃないなら当然、娯楽であっても流石に厳しい。結局私はバイトでもして金を稼いでいた方が時間も潰せるしマシだなと最近思ってしまうようになった。今まではライブがあったから休日を有効に使えていたような気がしていたが、それが無くなればいかにすることが無いかというのが露呈してしまった。

 

一人で暮らしていくというのは虚しい。家にいてもゲームか勉強くらいしかすることが無い。バイト先で同僚と軽い会話を交わしている方がよっぽど心は満たされる。それは人生においても同じだろうと思う。たかだか20年そこらしか生きていない身で言うのもなんだが、多分結婚しない人間はどこかで精神に支障をきたすような気がする。具体的には親が死んで1人になってしまった時とか。私は比較的1人で過ごすことには耐性がある方だと思う。元々一人っ子で、両親は共働き、今現在も一人暮らしと何かと1人で過ごす機会も多かった。ただそれでも今現在この状況に虚しさを感じているというのは事実で、やっぱり友人を始め、人間関係の大切さというものに20年生きてきて恥ずかしながら初めて気がついた。やはり人は1人では生きていけないのか。

 

80年以上生きていれば別れは絶対に避けられない。祖父母、両親はほぼ確実に先立つし、長く生きていればそれだけ友人や恋人、もしかしたら子供にまで先立たれるかもしれない。そうした時自分が何を感じるのか。そういう気持ちも感じたくないし、最後周りが誰も彼も死んでしまったら孤独のまま死ぬことになる。それくらいなら私はさっさと死んでしまった方がマシだ。30歳だと親に申し訳が立たないので40歳か50歳くらいがいいだろうか。

 

こういうことを考えると結局自分は自分のために生きていないなということを改めて感じる。人の目を気にして、人に申し訳を立てながら卑屈に生きている。何が楽しくてこんな人生をあと60年も送っていかなければいけないんだろうか。私は人に必要とされているうちに惜しまれて死んでいきたいしそれが何よりも幸せなことなんだと信じて疑わない。結局惜しまれたということだけが私の人生を意味付けると思うし、逆に言えば死なないと自分が生きた意味は分からないのだ。今死んだところで惜しんでくれる人がどれだけいるのかは分からないが、これから先の人生、惜しんでくれる人をなるべく沢山作るように生きて、そんな人が死なないうちに自分は死ねたらいいなと思う。周りの人間の気持ちを考えない身勝手な思想だが、それくらいは許して欲しい。長寿が幸せなんて生きづらい幻想の中でもがいているんだからそれくらいは許されてもいいかな。