威風堂々

春から社会人

子供

私が最近結婚願望が強いことは再三書いている通りですが、私は子供はいらないと思っています。でもここを突き詰めると結局矛盾しているなーってさっき思いました。子供がいなければ結局配偶者が先に死んでしまったら一人になってしまうからです。そんなことも今まで考えたことがなかった。

そもそも私は子供がいらないというのは覚悟がないからです。私は子供は好きです。可愛いし、バイトを始めてからは一種の清涼剤のような存在になっています。でもそれは子供一般の話であって、自分の子供となると話は別です。私は親は全面的に子供に対して責任があると思っています。子供は親に産んでくれと頼んだ訳では無いから。これに尽きます。実際私も産まれてこなければ良かったと思うことは多いです。ただそんなことを親に言おうものならヒステリーになられて終わりなので言いませんが。私がこう考えるようになったのは「自分と同じような辛い思いをして生きていく人間を1人でも減らしたい」ということからなのですが、この話だけ親にしたら笑われました。笑い事じゃねえぞ。

でも結局いくらヒステリーになったところでこの事実には反論のしようがないわけで、結局は子供を作るのは親のエゴでしかないわけです。だったら親のエゴで産まれてきた子供に対して親が最後まで責任を取るのは当然の事じゃないでしょうか。少なくとも自分が死ぬまでは子供がニートになろうと何をしようと許容して養っていく義務があって然るべきです。別に私が親にそうして欲しいわけではなく(して貰えるならそれに越したことはないですが無理なので)、一般的に考えてそうとしかならないでしょう。「誰が育ててやったと思ってる」と言われたら「お前が産んだんだから育てるのは当たり前だろ」と言えるのが本来のはずです。

まあこれは理屈の話です。多分仮に自分に子供が出来たらこう思っていたとしても、反面子供に対してはどうしても自立を求めてしまうでしょう。流石に30の息子が家でプー太郎をやっていてもニコニコ養ってあげるような強靭な精神力が私にあるとは自分自身思えません。それに、一人で生きたくないという元の願望がある以上、最期は子供がいれば子供に迷惑をかけて晩年を過ごすことになるでしょう。それは親が全面的に子供に対して責任を取るということに反します。今までの恩返しとかそういうことを思って自発的に世話したり葬式をあげたりしてくれるならいいですが、そもそも子供がいなければ子供に迷惑をかけることもないし恩を着せることもないので結局全てそこに終着します。

ということでいろいろと分からなくなってしまいました。自分の生き方なので自分で決めなければいけない(このこと自体今までの理論からすればおかしい話ではありますが)ので悩みの種がまた増えてしまいました。でも多分結婚したら性欲に負けるし、自分の子供を欲しいと思ってしまうんだろうなあ。こうやって次の世代に何も考えず問題を投げてきたのが人間なのかもしれないですね。