威風堂々

春から社会人

生きるのって大変

もうすぐこのブログを開設して1年になるみたいですね。この1年でいろんなことがありました。サークルに入った、そして辞めた、バイトを始めた、小倉唯さんをめちゃくちゃに推し始めた。他にも挙げるとキリがないくらいいろいろなことがありました。

 

正直なことを言えば高校まで私は自分を優秀な人間だと思っていました。勉強が出来ればなんとかなるとも思っていました。ただ現実はそうではない。私は別に優秀ではない、ただ少し勉強が出来るだけの一般人でしかない。大学生というある程度社会に放り出される環境に身を置いてそれに気づいた。

バイトをしていれば理不尽な目にも会うし、お金の大切さにも気づいた。京都府最低賃金は882円で私の時給は900円です。平均9時間くらい働いてやっとライブのチケットが1枚取れるくらいです。バイトをしていると時折虚無になります。なんのために働いてるんだろうなって。端的に言えば推しに貢ぐためですが、これは生産的活動ではない。楽しいからいいんですが何も生んではいない。というか人間の活動それ自体が結局ほとんど全てさらなる人間の活動を快適にするための活動に還元されるので終わりがない。そう考えると人間って生き物自体がなんのために生きているのかというどうしようもない命題にぶち当たる。

気づけば私も2回生、あと2年もしないうちに就活が始まり、きっとあっという間に社会に出ることになる。色々言ったが大学生はそれでもまだモラトリアムだし、社会から優しくされていると思う。社会に出たらなんのために働くかもわからないまま、ただひたすらに働いて税金を大量に持っていかれて、気づいたら多分40歳とか50歳になっているんでしょう。

なまじっか勉強ができるから周りには結構期待されている。ただ実際には私は別に優秀な人間ではないしそこら辺にいる量産型文系大学生のひとりに過ぎないのだ。社会を変革する力もない。よく人間は歯車に例えられるが、恐らく社会を動かす歯車になるのだって相当難しい。大体の人は代わりのきくどうでもいい仕事で一生を終えていくのだろう。

 

そんなことを考えていたら悲しくなるし、生きていくのが嫌になるけど生きていかなければならない。人生80年の時代なのだ。あと60年残っている。とはいえ最近あれが10年前!?ってなることが多い。10年前といえば私は小学四年生だ。時間の流れは早い。何も生まないまま生きて死んでいく人間にはなりたくないが、現実は厳しい。恐らくあっという間に時間は過ぎていく。少なくとも今を後悔しないように生きていきたいと最近気持ちを新たにしている。幸せになりたいなあ。