威風堂々

春から社会人

ヘタレ主人公の何がうざいのか

私たちはアニメに何を求める?非日常でしょう。日常系アニメと言っても私たちは木組みの町に住んでいないし、女の子しかいない職場でゲーム作ったりしないし、イギリスから日本語ペラペラの金髪留学生がホームステイしに来るわけでもない。青春の微妙な人間関係を描いたようなアニメだって実際にそんな状況はなかなかないでしょう。逆にただオーケストラサークルに所属する一人暮らしのさえない大学生が特にイベントもなく嫌々大学に行くだけの真の意味での「日常」系アニメとか誰が見るんだって話ですよ。そんな人がいるんだったらどう考えても変な人なのでその人の日常は非日常なんでしょう。

 

大学の後期の授業で「幸福」についてひたすら考える授業をとっているのですが、嫉妬や不幸の一側面として、他者に起きたことを自分に起きなかったこととして見るというものがあります。

 

他人の不幸を見ることで元気づけられる場合があるのは他人の不幸を自分自身の不幸の可能性として見るからである。その他人が自分に似ているほど不幸な可能性は身近なものになりネーゲル的な幸せ(可能性と現実の比較)は増すだろう

=他人の不幸を見ることで自分自身の幸せをかみしめる

→この心理が反転したのが嫉妬であって同人種、同性、同世代など、より相手が自分に似ているとき強く嫉妬しやすい。本当は努力も才能も全然似ていなくても嫉妬している本人は似ていると感じる

 

一応こんな感じでノート取ってました。つまるところ自分を投影しているということです。

人それぞれだと思いますが、私は割と感情移入する方なのもあって、アニメとかドラマはこれと似たようなものだと思っています。アニメに自分を投影して自分には起こらないことを楽しむ。よくおれTUEEEEとか馬鹿にされるなろう小説も私は大好きですよ。自分には決してありえない最強主人公がスカッとするように敵を倒してくれるから。だからヘタレ主人公は嫌い。リゼロのレムの下りのスバルとか、未来日記の天野雪輝とか。ちがうんだよ、これに関しては自分と全く違う存在が活躍してる姿を見たいの。いつまでもうじうじしてるくずみたいな主人公が見たいわけじゃないの。主人公なら主人公らしくしゃきっとせい!誰も男が泣いてる姿なんか見たくないわ!泣くのはかわいい女の子だけでいいんだよ!結局そういうことだわ!