威風堂々

春から社会人

「Real」と「Virtual」

一週間継続して何か書きます。頑張ります。ネタはあるんだけどいつも筆が乗らないんですよね。

 

私はこうしてネットをやっています。Twitterもやっています。大学からの人に過去ツイを見られるのが恥ずかしくて半年ほど前にほとんどのツイートを消してしまったので引用はできないんですが、昔こんなことをツイートした記憶があります。

 

Twitterで発言したことを現実の話題にされると反応に困るからリアルではツイートに言及しないでほしい」

 

この考えは今も変わっていません。こうやってブログも書いていますがこの内容も当然リアルでは言及されたくないわけです。でもなんででしょう?確かに反応に困るというのは一つあります。基本的に私は話題については語り切りたい人なのでツイートの話をされてもツイート以上の展開がないんです。あったとしてもそれは脚色・補足なわけで。まあよく困っていました。

でも当然それだけではないんですよね。それで昨日も話したんですが「人格の乖離」という話に少し関わってきます。と言っても今日の誰にも当てはまるような一般論です。

みなさんはTwitterの人格と現実の人格って一致してますか?唐突ですね。私自身のことを言えば最近(というか少なくとも高校最後の方は)マシではありますが一時期はまるで全くの別人格のようでした。高校一年生の頃を知っている人になら容易に納得してもらえるんじゃないかと思います。Twitterでは喋りまくり、現実ではコミュ障を発揮…見るも無残ですね。

でも自己肯定するわけではないですけどこれってある意味当たり前ではないでしょうか?現代においては現実の人間関係とネットでの人間関係が違うなんてざらにあります。そうでなくても、つまり現実の友達・先輩・後輩とネットでつながっていたとしても、この二つの人間関係って性質が違うものだと私は思います。

 

現実にではどうしても気を遣う必要が出てくる。こういうと「ネットでは気を遣わなくていのか」とか「匿名だからって何を言ってもいいわけではない」という批判はつきものですね。でもそういうことを言いたいんじゃなくて、「顔が見えない」ということの効果って大きいと思うんです。顔が見えないコミュニケーションには相手の感情を察しづらいという大きな欠点がありますが、それは強みにもなりうる。私が言いたいのはあくまで「節度を守ったうえで」言いたいことが言えるということです。

 

面と向かって話すとどうしても人間気を遣ってしまう。それをどうにかしてくれるツールでもあると思うんです。ネットは。

Twitterを見るとその人の本性が分かる」とは言ったものですが、ネットで言いたいことを言っている人格と、現実で遠慮している人格、この二つが合わさって人間の本性なわけです。現実で遠慮することができるっていう時点で十分優れた人格じゃないですか?ネットでの態度を見てすべてを判断したり、幻滅するのは早計だと私は思います。

 

この「Real」での人格と「Virtual」での人格は乖離したようなものではありますが、同時に相互補完的な関係にあります。二つが合わさって本物(Real)で実際の(Virtual)一人の人格となるわけです。だからリアルの人格にバーチャルに人格について言われても困る。ジキルとハイドみたい…?そんなこと言ったらスティーヴンソン氏に失礼ですかね。

 

まあともかくそんな考えを持っている人も世の中にいるのだと心の隅にでも留めてもらえたら幸いです。

 

と、そんなことを書いているうちに日付が変わってしまったので今週毎日何か書くチャレンジはいきなり失敗してしまったのでした…