威風堂々

春から社会人

人と話すのが好き

私は人と話すのが好きです。好きな相手なら1から100まで興味があるし、そこまでいかなくてもある程度仲のいい人間なら日常の出来事みたいな話を聞くだけでも楽しいです。でもやっぱり1番好きなのは自分が話すことです。Twitterなんかを延々とやっていることからも明らかなのですが私は自己顕示欲がかなり強いです。自己肯定感は低いのに自己顕示欲が強いとはこれはいかに。好きな相手にはやっぱり自分のことを知って欲しいし、そこまでいかなくても自分の身の回りの出来事に対して他人からのリアクションがあれば嬉しいです。そういう意味で当然ではありますが、やっぱりリアクションが良かったり話を広げようとしてくれる人と話すのはとても楽しいです。

私は高校時代自分のことをコミュ障だと思っていました。でも人と話すのが好きというのは変わらなくて、仲のいい人とはペラペラと話していました。まあこれは典型的なコミュ障の性質であるところなんですが。でもバイトを始めてからそこまで親しくない人と会話しなきゃいけない事も増えて、接客をしてるのも功を奏したのかもしれませんが、私は色々な人と話せるようになりました。と言っても仲のいい人と話すような込み入った話は当然出来ませんが、私からしたら別に仲良くない人と世間話ができるようになったのは大進歩です。おかげで多分私は割とコミュ力のある人みたいに思われている気がします。

でも実際コミュ障と話すのが好きというのは両立しうる気がして、コミュ障、すなわちコミュニケーション障害(スラング的な意味合いで)ですが、これはコミュニケーションであって、双方向なんですよね。一方で単に「話す」とだけ言えば相手の話を聞いて簡単に反応を返す、逆に自分の話をひたすらする、というのも話すのうちであってこれはあくまで会話に至っていなくてもいいわけです。自論ですがコミュニケーションにならない程度のぶつ切りの話題を何個も繰り返していくというのはコミュ力があるうちに入らないと思います。これはただの話を途切れさせない力であったり、話題の引き出しの問題です。結局コミュ力というのは長い会話の中で相手から変化球が来ることもあるし、ネットサーフィンみたいに話が次々転々とする状況に対応できる力なんじゃないかと思います。

 

「出身どこ?」

「東京」

「えー凄い」

「でも東京でも田舎の方ですよ」

「でも東京は東京じゃん」

「でも住んでると実際そんなにありがたみないんですよ」

 

これは私が割とよく出会う定型文なのですが、これはあくまで型をなぞってるだけでコミュニケーションのうちに入りません。

 

「出身どこ?」

「東京」

「え!この間東京で○○のライブ行ってきたんだ!やっぱり東京住みっていいなあ」

「あーわかる。自分もよくライブ行くから。○○のライブも行きたいと思ってたんだよね。やっぱりライブいい?」

あんまりいい例が思い浮かばなかったですがこれが対応力であり、コミュ力だと思います。普通出身の話から好きなアーティストの話には飛びませんし、これに対応出来る力を持つ人が会話力、コミュ力のある人間です。私はぶつ切り会話を投げるだけでも十分楽しいし好きなのでコミュ障でもなんでもいいと思っていますが、そこは違うかなと思いました。