威風堂々

春から社会人

私にとってアニメけいおん!とはなんなのか

好きなアニメは?と聞かれたら私は迷わずけいおん!と答えます。まあ正確にはけいおん!!ですが、一期も二期も傑作に変わりはありません。というか現在のTwitterアカウントを使い始めて5年が経ちますがそこそこの歴があるフォロワーはみんな私がけいおん!大好きだってことを知ってると思います。

 

私がこの作品について感想を書くとクソデカ感情で絶対グチャグチャになってしまうし、ここに記すには余白が狭すぎる。だから今日は感想ではなく私の人生にけいおん!というアニメが残した傷跡の話をします。

 

一言で私にとってのアニメけいおん!を表すなら、間違いなく「青春」です。というかけいおん⇔青春が成立するくらいには私の中でけいおん!の占める部分が大きすぎる。だからこそ私は未だにけいおん!の影から逃れられないでいる。

 

けいおん!の描く青春は現実のようでいて非現実です。部員5人の軽音部は存在しないし、平沢唯みたいな人間が中心になって集団がまとまるとも思えない。活動実績がない軽音部が部として存続して部費まで貰えるかは怪しいし、金持ちがバンドに加入するなんてことも考えにくい。挙げていけばキリがないですがとにかくけいおん!ってのは非現実で、実現するわけが無い、フィクションなんです。

 

でも私はけいおん!にしか青春を見いだせなかった。だから高2の自分なりに最大限頑張った文化祭も、正直物足りなかった。私にとっての青春は最後のライブの後に音楽室で5人で泣き合うものだったし、卒業式の日に卒業ライブをやるものだからだ。そんな青春は現実に存在していない。だから私は満たされない青春の虚像を追い続けていたのだ。

 

そして高校を卒業してしまった現在、万に1つもその青春が達成される可能性は存在しなくなってしまった。私は永遠にけいおん!の青春に囚われ続ける羽目になってしまった。以前に私が青春コンプレックスであることを書いたが、結局全てこれ。私がけいおん!という作品に魅せられてしまった時点で私はもう手に入らない青春の虚像を追い続ける人生を選んでしまったのだ。だからもし満たされた人生を送っていても、青春を得られなかったことは絶対に心のどこかに傷として残ったままだ。

 

私は精神的に辛い時はけいおん!!20話や24話を見て泣いて元気を出す。文字通り補給である。けいおん!を見ている時には私は彼女達の青春を摂取することが出来る。心が満たされる。ある種の中毒状態と言えるかもしれない。

 

私にとってのアニメけいおん!は最も大切で大好きな作品であると同時にトラウマでもあるのだ。