威風堂々

春から社会人

コンプレックス的な

何かにハマる時、それがアイドルでも、アニメでも、そのコンテンツに確実に追える始まりがあったものに途中からハマるというのはなかなか難しいものです。ハマるだけなら別に好きになるだけでいいんですが、そこから現場に行ったり、深い議論をしようとするとやはりそのコンテンツの辿ってきた過去とは切り離すことができません。

例えばですが、私が今の状況に至る本当に最初のきっかけとなった「けいおん!」のアニメを考えてみましょう。このアニメは放映開始が2009年、10年前でした。私が初めてこのアニメに触れたのは5年前くらいだったと思います。けいおん!の最後のライブは2011年だったので私は当然このライブには現地参戦できていません。けいおん!という作品を語るにおいて実際にライブに行けていないのは大きな損失です。特に2009年以降、私は大きなお友達に片足を突っ込み始めてる中でプリキュアに全力で熱中していた時期でもあるのでなおのこと他のアニメコンテンツにハマれる余地はあった訳で尚更悔しい思いです。

他にも、内田真礼さんのアーティスト活動を考えてみると、私が彼女のアーティスト活動に本格的にハマったのは2016年真ん中辺りだったので2016年2月に行われた彼女の1stライブは行けていませんし、当然彼女がPENKIまでに辿ってきたアーティスト活動の道のりをリアルタイムでは見れていないわけです。

つまりそういうことです。ファンにかけたお金やファン歴は関係ないという主張もありますが、結局追ってきた年数って埋められない差になってしまうんですよね。あとからファンになると、「ああ、あのライブ行きたかったな」とか「あの雑誌欲しかったな」とか叶わない夢に永遠に囚われることになるんですね。これは古参が過去の思い出に囚われて進めなくなるのとある種対になる現象でしょう。

 

そういう意味で私には本当に草創期から熱心に追ってきたコンテンツがありません。内田真礼はPENKIから、TrySailHigh Free Spiritsから、水瀬いのりStarry Wishから、小倉唯は白く咲く花から。けいおん!もアニメ展開が終了してからですし、リリカルなのはもビビストから、ごちうさはアニメ1期と2期の間からです。それがある種コンプレックスになっている部分があります。気にしてもしょうがないことなんですが新参特有の悩みという面があるんでしょうか。古参との間の埋められない差が気になってしまいます。もちろんBDとかで過去の映像は見ているんですがそれとこれとは別の問題なのは言うまでもありません。

それを抜きにしても新しくコンテンツにどっぷり浸かるというのは案外と大変です。例えば水樹奈々に今から入ろうと思うと40曲近いシングルと12枚のアルバムを履修する必要があるわけです。

そういう意味でも成熟したコンテンツに新規参入するというのは精神的にも肉体的にも結構大変な作業である面が一定部分あると思います。

 

話を戻しますが、私は苦しんでるという程でもないですが、やはり心のどこかでコンテンツの歴史を共に辿ってきていないことに対するコンプレックスがあるんだと思います。1度くらい草創期からコンテンツが大きくなっていく様を応援したいという気持ちが強くあります。それが目的じゃないはずで、どこかで転倒しているような気もしますがこの気持ちは事実なのでどうしようもありません。ミューレの3期生(こちらはまだ活動開始する気配すらありませんが)だとか、新人声優のユニットみたいなのに結構アンテナを張り巡らせています。ただ、途中からハマるというのは大変だとさっき言いましたが、草創期からハマるというのはそれ以上に大変だと思います。社会的評価も得られていないコンテンツを全力で応援するというのはある面で自己陶酔的な部分があるような気もします(こんなこと言うと怒られそうですが)。ファンとしてもパーソナリティとかがわからない以上応援も手探りですし、最初から全力で応援できるという方が異常です。それは余程の面食いくらいでしょう。

 

ということでまあそんなことを考えているよというお話でした。うまいまとめ方が思いつかなかったのでこの辺で失礼します。