威風堂々

春から社会人

肯定してくれ

私の自己肯定感が低い理由を考えてみた。結論から言えば私がオタクだからということになった。私は基本的にオタクを蔑視している。なんてったってオタクは臭いしキモいしうるさいのだ(多分に偏見が含まれます)。

そもそも私は元々自己肯定感は高い方だった。中学生の頃まではそうだったはずだ。小中でよくあったいじめだかなんだかのアンケート調査の「自分には生きている価値があると思う」だったか「自分は特別な人間だと思う」だったかなんだったかは忘れたが、とにかくそういう自己肯定感の塊みたいな質問に私は迷わず「はい」に丸をつける人間だったのだ。思い返せば私は人より勉強もできたし将来はすごい人間になると自分で信じていたのかもしれない。

いつそんな自己肯定感を失ったのかは思い出せないがとにかく私は今は自分が嫌いでしょうがない。運動はできない、勉強は人よりはできるがもっとできる人が沢山いて単位も落としてるし、趣味はオタクである。夢もなければその日を暮らしていくので精一杯である。

 

少し話が変わるが私はフラフラ歩き回るのが好きだ。散歩と呼べるのかも分からないが知らない場所を歩いたり、あてもなく川沿いを歩いてみたり、どこか行く時にバスではなく徒歩で行ったり。歩くという行為が好きなのだ。歩きながらイヤホンで音楽を聴く時間、この時間が私は大好きだ。世界から隔絶されて自分の好きな音楽をBGMにして考え事をするんでも、全てを忘れるのでもとにかく自分の時間を明確に区切れる気がする。

最近はそんな心の余裕がなかった。目の前には就活があるしもっと近くには落とすとやばい単位もある、毎日バイトがあるし時間が基本的にない。でもここ数日雨だったり出かけた帰りだったりと、いろいろあって歩く時間ができた。そしてやっぱりこの時間が好きだなって思った。

 

私は基本的に料理してる時、バイトしてる時、勉強してる時にしか自己肯定感が湧かない。それ以外の時間はずっと「なんで無為に人生を消費してるんだろうな」って思っている。このブログを書いている時間も同じである。ただ文章を書くというのは何となく気持ちがいいのでやっているのだが。最近はこの3つをかなり両立させているのだが、それでも変わらない毎日の中で確実に時が進んでいることに対して焦りを覚えている。毎日同じような日なのに私は大学3回生になってしまっている。何かを得ている気もしない。

 

ライブに行かなくなってもう4ヶ月がすぎた。8月まで飛んだので半年はライブに行かないことになる。でもなんだかんだこうやって生きている。オタク活動は楽しいが、楽しいだけで何も生まない。特に私はオタク関係の交友関係を全くと言っていいほど築いていないので尚更だ。結局オタクなんて辞められるなら辞めてしまった方がいいのだ。少なくとも毎週のようにライブに行ったりする生活は良くないに決まっている。オタクではなくただのファンレベルで追うくらいがちょうどいい。ライブに行きたいと思いつつも少なくとも公務員試験が終わるまではこの状況が続けばいいなと思っている自分もいる。

 

 

久しぶりにただ書きたいことを書き殴っただけのブログを書いたのでまとまりも文脈も一切ないがたまにはいいね。