威風堂々

春から社会人

「やめればいいじゃん」という言葉について

昨今、ブラック企業社員の自殺や過労死が話題になりますが、その度に「死ぬくらいならやめればよかったのに」「死んだら元も子もないよ」なんて意見が当たり前のように聞こえてきます。うちの親も言っていました。

ただそんな軽々しく言いますが「やめる」というのはそんな簡単じゃないはずなんですよ。生きていれば何かいいことがあるって何を根拠に言っていますか?無責任すぎやしませんか?場合によってはやめたところで「やっぱり死んだほうが良かった」って思うような人生を歩むことになるかもしれません。

話は小さくなりますが学生のサークルレベルでもそうです。サークルや部活を辞めたいと言っている人はたくさんいますが実際には辞められない人も大勢います。最大の支障は人間関係でしょう。日本人の性質のようなものなんでしょうか、やめた人間にはどうしても厳しく接してしまいがちですし、辞めた側としてもそれまでと同じように他の人と接するのは普通は無理でしょう。大学で生活していれば嫌でも偶然顔を合わせるなんてことは当然あるわけで余程の精神力がないときつい面もあるでしょう。

「辞めたい」という言葉に「じゃあ辞めればいいじゃん」と返すのは一番ナンセンスでしょう。それで「そうだな、じゃあ辞めるわ!」って割り切れるような人はそもそも「辞めたい」なんて会話の中で話したりする前にさっさとやめてしまうと思うんですが…

しかも、その団体に所属しているということは何らかの動機があって所属しているはずです。お金、好きなこと、友達…全くその目的が達成されないならそれは確かにやめろとしか言いようがないですが、そんな場合はほとんどなくて、例えば「楽しいけど大変すぎて辛い」とか「これはここでしか参加できないけど人間関係がうまくいかない」とかそういうのが大体なんじゃないでしょうか。

そういったときに辞めるという決断をするのは難しいことですし、そもそもコミュニティを抜けるということ自体がなかなか言いづらいのもあって大変な仕事になり得ます。そうすると大体の人は「まあ我慢するか」とずるずると惰性で続けていくわけですよ。

本当に完全に憂いなく楽しめるなんてことは全くと言っていいほど存在しないですし、ある程度の我慢は必要でしょうが、いろんな場においてもっと「辞める」という行為が簡単なものになると生きやすくなるのになあと思います。本人の意思だけに責任があるとは私は思えません。「辞めない」のは「辞められない」し「辞めさせない」からなんでしょう。箱根駅伝とかでもいつも話題になりますが、最後まで頑張ることをよしとする日本の美学は時代に逆行している上、実際に何か問題が起こると手のひらを返して「辞めればよかったのに」なんて平気で言い放つのは気持ち悪さすら感じます。