威風堂々

春から社会人

早く死にたいけど死ぬのが怖いよ~

最近時間がなかったのと、めぼしいところはほとんど読んでしまっていたのでなろう小説は読んでいなかったのですが、久しぶりにすごいものを読みました。

 

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私はなろうの最高峰は無職転生だと信じて疑わないですが、個人的にストーリーの質は同じレベルです。構成とか文章が無職転生の方がサッパリしてて読みやすいかなって感じですが、それは好みの問題ですし、この作品は間違いない名作でしょう。9章までは普通にありがちななろう小説の展開です。と言ってもやはり文才とストーリーで格の違いは感じます。10章と終章が毛色が突然変わりますが、むしろこの作品の本質はそっちなんじゃないかなと思います。

 

私は異世界ものはラブコメと同じくらい好きです。その中でも無職転生にしろこの作品にしろ人の一生を描いているものがずば抜けて好きです。勇者イサギもそうですね。主人公がどう生きて何を得て何を感じてどうやって死んでいったか。それまでの積み重ねがあって、時代が飛んで晩年、周りの人間が死んでいって、そして自分も死ぬという時に主人公が何を思うのか。それは小説の中で書くにはあまりに難しいものな気がしますが、名前を挙げた3作品は天才的です。

 

私は最近死とはなんなのかとかそういうことは考えないようになりましたが、この作品を読んで死ぬことが周りや自分に与える心理的な影響ってなんなのかなということは考えました。難しすぎる問題ですし考えてるだけなので答えのひとつもありません。それが感情移入なのかはわかりませんが、やはり長編であればあるほど主人公と共にあった人間、そして主人公が亡くなれば泣くとまではいかなくても喪失感くらいは感じるでしょう。私は結構共感性が高い方なのでそれは顕著です。

未だに私は近しい人を亡くしたことがないので実際に自分がその状況になった時どんな感情を抱くのかは分かりません。この作品の主人公は最初そういう感情を持ち合わせていませんでしたが、色々なことを知り、強くも弱くもなっていきます。やっぱり幸せに身を浸したならばそれを失った時の喪失感はすごいのでしょう。

私は嫌々ながらあと60年くらい生きるだろうという計算なのでそういうことも自然と増えてくると思います。でもそれが怖くてたまらない。だから回って幸せになることすら怖くなってしまう。仮に心から愛する人ができて結婚したとして何十年後かは分からないが、いつかそれは確実に失われてしまう。結局孤独じゃなく死にたいというのは独善的で、周りに孤独に死ぬことを転嫁しているだけとも言えます。少なくとも自分がいれば周りの人間が1人で死ぬことは無いわけで。私は人間の一生は1人で生きるには長すぎるが、誰かと生きるには短すぎると思っています。流石に80年も大切な人がなく生きていくのは心が辛そうですが、大切な人間がいたとして80年で別れるのはあまりに酷です。私は基本的に臆病な人間なので怖くてしょうがありません。永遠なんてものは存在しなくて、死後の世界があるかも分からない。そんな世界で毎日を過ごしていくのがどうしようもなく不安で、怖い。今の幸せもいつか失われると考えてしまうと途端に怖くなり、一瞬の快楽も楽しめなくなる。そもそも何をしていてもいつか自分は死ぬのだからなんて考え始めたら本当に何も出来なくなる。どこかで折り合いをつけていかなければいけないんでしょうが私には難しい。生きるのが下手というのは根本的に考え方にあると思いますが、私の本質はここなのかなと思います。

 

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水族館が好き

私には趣味と言えるようなものがないとずっと思っていたが、趣味とまでは言えなくても、「好きなこと」ならあるなって最近思いました。水族館に行くことです。

 

そもそも読書とか音楽を聴くってのは無難な「趣味」で本当にヘビーに楽しんでる人以外が言うと「ああこの人趣味ないんだな」って思われがちである。私も会って5秒で「趣味は声優のライブに行くことです」なんて言わないくらいの分別はあるので結構読書とか音楽に頼ったりするのですが、まあありきたりです。「どんな本読むの?」とか聞かれれば最近はラノベしか読まないし「どんな曲聴くの?」と聞かれれば結局オタクソングが出てくるので本末転倒。ちなみにたまに言ってますが私は中学生の頃からミスチルが好きだし最近はUNISON SQUARE GARDENもかなり好きです。この2つのバンドはオタクソング以外にも聞く(ユニゾンは割とオタクバンドだが)。

 

これは割と私信ですが私も趣味とは言えるほどではなくても割と散歩するのは好きです。まあでも散歩は趣味なんだろうか。それが趣味でいいなら私は川とか海をひたすら見続けるのが好きなのですがそれも趣味でいいのではないかという気持ちになりますね。

 

だいぶ脱線しましたが水族館の話です。京都水族館が営業再開したので開凸したのですがやっぱり水族館はいいなと思いました。伝わるか知らないけど2番目の大きい水槽が川魚なんですが、あそこに1匹いるカマツカをソファに座って見てるだけで1時間は余裕で過ごせます。f:id:stella-l:20200616001933j:image

こいつ

 

今日はバイトがあったのでさっさと帰りましたが本当に時間に追われない日が来るならそういうのもいいかもしれない。基本的に動物園も好きですし、なんなら博物館美術館も好きなのですが、やっぱり水族館は別格です。

 

私は旅行に出るととりあえずその地の水族館を見るので、魚に関しては割と見飽きるくらいには見てるのですが、それでも何回も行ってしまう。江ノ島に行くたびにえのすいに入ってるし京都水族館は年パスを持っています。魚を見たいというのもあるのですが、言ってしまえば水族館なんてどこも同じようなもんです。同じような魚が同じような水槽に展示してある。規模の違いこそあれど基本的な展示内容はだいたい変わらないはずです。結局私は「水族館」という場所が好きなんですね。理由はうまく説明できないんですが。強いて言うなら無心になれることでしょうか。でもこれもかっちりハマる理由ではないので本当に説明できない。

 

ボケーッと水槽を眺める時間、寝ている海獣を見る時間、歩き回るペンギンを見る時間、どれも好きです。水族館には動物園にはない独特の雰囲気があるんですよね。あそこだけ時間の流れ方が違うというか、隔世感というか。

 

せっかく関西にいるんだから鳥羽水族館には行ってみたい。伊勢神宮行って鳥羽水族館行ってって感じで。まあ別に1人でも行くんですが水族館ってデートスポットだったり親子で行くような場所という社会通念があることも認識はしているので彼女と行きたすぎる。一緒に三重まで行ってくれる女の子なら別に彼女じゃなくてもいいが、彼女でもないのにわざわざ三重まで一緒に行くような人間はいないだろう。水族館デートって世界でいちばん甘美な響きしてるわ。

 

肯定してくれ

私の自己肯定感が低い理由を考えてみた。結論から言えば私がオタクだからということになった。私は基本的にオタクを蔑視している。なんてったってオタクは臭いしキモいしうるさいのだ(多分に偏見が含まれます)。

そもそも私は元々自己肯定感は高い方だった。中学生の頃まではそうだったはずだ。小中でよくあったいじめだかなんだかのアンケート調査の「自分には生きている価値があると思う」だったか「自分は特別な人間だと思う」だったかなんだったかは忘れたが、とにかくそういう自己肯定感の塊みたいな質問に私は迷わず「はい」に丸をつける人間だったのだ。思い返せば私は人より勉強もできたし将来はすごい人間になると自分で信じていたのかもしれない。

いつそんな自己肯定感を失ったのかは思い出せないがとにかく私は今は自分が嫌いでしょうがない。運動はできない、勉強は人よりはできるがもっとできる人が沢山いて単位も落としてるし、趣味はオタクである。夢もなければその日を暮らしていくので精一杯である。

 

少し話が変わるが私はフラフラ歩き回るのが好きだ。散歩と呼べるのかも分からないが知らない場所を歩いたり、あてもなく川沿いを歩いてみたり、どこか行く時にバスではなく徒歩で行ったり。歩くという行為が好きなのだ。歩きながらイヤホンで音楽を聴く時間、この時間が私は大好きだ。世界から隔絶されて自分の好きな音楽をBGMにして考え事をするんでも、全てを忘れるのでもとにかく自分の時間を明確に区切れる気がする。

最近はそんな心の余裕がなかった。目の前には就活があるしもっと近くには落とすとやばい単位もある、毎日バイトがあるし時間が基本的にない。でもここ数日雨だったり出かけた帰りだったりと、いろいろあって歩く時間ができた。そしてやっぱりこの時間が好きだなって思った。

 

私は基本的に料理してる時、バイトしてる時、勉強してる時にしか自己肯定感が湧かない。それ以外の時間はずっと「なんで無為に人生を消費してるんだろうな」って思っている。このブログを書いている時間も同じである。ただ文章を書くというのは何となく気持ちがいいのでやっているのだが。最近はこの3つをかなり両立させているのだが、それでも変わらない毎日の中で確実に時が進んでいることに対して焦りを覚えている。毎日同じような日なのに私は大学3回生になってしまっている。何かを得ている気もしない。

 

ライブに行かなくなってもう4ヶ月がすぎた。8月まで飛んだので半年はライブに行かないことになる。でもなんだかんだこうやって生きている。オタク活動は楽しいが、楽しいだけで何も生まない。特に私はオタク関係の交友関係を全くと言っていいほど築いていないので尚更だ。結局オタクなんて辞められるなら辞めてしまった方がいいのだ。少なくとも毎週のようにライブに行ったりする生活は良くないに決まっている。オタクではなくただのファンレベルで追うくらいがちょうどいい。ライブに行きたいと思いつつも少なくとも公務員試験が終わるまではこの状況が続けばいいなと思っている自分もいる。

 

 

久しぶりにただ書きたいことを書き殴っただけのブログを書いたのでまとまりも文脈も一切ないがたまにはいいね。

ラブコメ

私はラブコメが大好きです。三度の飯より好きです(一日一食なので)。純愛物(「月がきれい」とか)はあんまり好きじゃないんですよね。ぶっちゃけ四月は君の嘘とかもそこまで好きでは無いです。

 

でも1つ許せないものがあって、それがマルチヒロインです。ラブコメである以上、ヒロインが沢山いるのは割と当然ですが、私がここで言うのはメインヒロインがいない、あるいはメインヒロインはいるけどほぼ同格のサブヒロインがいるというタイプです。

 

ちなみにハーレムエンドはマジでゴミです。私はハーレムエンドに親を殺されているので。俺修羅、アニメ楽しく見てて原作まで買ったのに原作がハーレムに向かっていって、しかもその途中で出版が途絶えたのでマジであいつだけは許せない。絶対に許さないからな。ラブコメにみんな幸せみたいな終わりはいらないんだよ。そもそも俺修羅に至っては終わってないから幸せですらないしな。桜は散るから美しいんであって、ラブコメもヒロインが散るから美しいんです。ハーレムは冒涜です。全ラブコメに謝れ。

ありふれみたいに異世界バトルものとかで最終的にヒロインとハーレムエンドみたいなのはいいんですよ。それは別にラブコメじゃないし異世界転生が主題だから。むしろ冒険が終わったあとで今まで一緒に戦ってきた仲間に「今までありがとう!俺はメインヒロインと結婚するからじゃあね!」なんてやり出したら流石に怒ります。ラブコメじゃないなら決着がつかないかハーレムエンドかの2択です。

ただラブコメはそれが主題なんだからちゃんと決着をつけろ。ハーレムは甘えなんだよ。なんにも面白くないわ。

 

ハーレムの話で熱くなってしまいましたがこれは本題では無いのでマルチヒロインの話に戻りますが、前者はぼくたちは勉強ができない!、後者はニセコイを思い浮かべてもらえばいいでしょうか(遠すぎて前者後者が思い出せない)。俺ガイルも前者のパターンですが好きでした。ただし好き「でした」であって、話が面白かったから好きでしたが、やっぱり最後は納得がいってないのでうーんという感じです。

 

ここからは持論ですがラブコメの面白さは、決まった終結にどうやって持っていくかの過程が全てだと思っています。そこに「誰が選ばれるんだろうドキドキ!」みたいな要素は不必要だし、むしろ純粋に楽しむことを妨げているのではないかと思います。

私が好きな冴えカノを例にあげれば、あれは加藤恵が最終的に選ばれることは最初から自明の理でした。英梨々も詩羽先輩も魅力的なヒロインでしたがあの作品は最初から最後まで加藤恵がメインヒロインだったし、英梨々も詩羽先輩も振られることがわかっていたから楽しめた。だから英梨々も詩羽先輩も散り際が美しかったし、いい話だったなで終わったんです。

じゃあニセコイがどうだったか。あれは一応桐崎千棘がメインヒロインでしたしそれはメタ的に考えれば当然なのですが、最後の最後まであの作品は小野寺小咲もメインヒロインでした。説得力があればまた良かったのかもしれないですがあの作品はどう考えても小野寺小咲と結ばれる展開の方が自然だったし、そもそもメインヒロイン格で描かれていたキャラが振られるわけだからこちらとしても唖然とするわ感情移入してしまうわで楽しめない。

ぼくたちは勉強ができない、これはマルチエンディングで賛否両論でしたが私は反対派です。マルチエンディング自体もさっきハーレムのところで言った通り1人を選ばない時点で甘えだし、そもそも誰でもよかったように見えて話に説得力がないです。そして仮にマルチエンディングじゃなくて最初のうるかエンドが間違いなく正史だったとしても、うるかは少なくとも文乃と理珠とは同格のヒロインだったわけで残りの2人のことを考えればうるか良かったねーで済む話ではありません。

 

私はラブコメを読むのには覚悟が必要だと思っています。好きになったヒロインが振られる覚悟です。「好きなヒロインが主人公とくっ付くのも嫌だけど振られると可哀想でそれも嫌だ」という話もあるのですが、それは今は関係ないので置いておきます。私は基本的に後輩、妹、幼馴染属性が好きだとずっと言ってるのですが、ラブコメのお約束として幼馴染は負けますし、妹はそもそもくっつけない(俺妹は理解不能)し、後輩も基本的に勝てません。それを除いても私の好きになるキャラはいつも負けヒロインです。だからいつも振られるのですが、やっぱり気持ちいいものでは無いのでそれなりに覚悟がないと悲しくなってしまいます。最初から振られるとわかっていれば変に感情移入することも無いのですが、メインヒロイン格として扱われて突然振られたりするとその作品自体もうどうでも良くなってしまいます。

 

何が言いたいかと言うとラブコメというのは私の中では「決まったヒロインがいて、そのヒロインと結ばれるまでに紆余曲折ある」話です。マルチエンディングとかやりたいならギャルゲーでやってください。その紆余曲折が面白いんであって、決して誰かが振られるところが面白いのでは無いです。だから振られるダメージはヒロインにとっても、読者にとっても小さい方がいい。

 

そういう訳で面白いラブコメあったら誰か紹介してください。ちなみに今アニメの妹さえいればいいを見ているのですが久しぶりに面白いし好きなので原作を買おうと思います。金元寿子さんの声はやっぱりいいですね。

健康長寿が幸せとかいう押し付け

日本は平均寿命がとても長いので私が平均的な日本人ならばあと60年以上は生きることになるのだが、正直なところそんなに長く生きていたくない。別に晩年を病気で苦しみたくないとかそういうことでは無いのだ。仮に死ぬまで健康であっても私はあと60年も生きていたくない。

 

今どき初等教育から健康で長生きすることは素晴らしいことであるという価値観の刷り込みが行われている。日本の学校、特に義務教育はそういう制度だからしょうがない面はあるが、結局画一的な人間を作り出すことに終始している。個性がーって叫ばれる時代ではあるが学校教育からして無個性人間を作る方向に進んでいるのだからどうしようもない。話が逸れたが、その無個性の中の一つとして健康長寿の価値観もある。現に日本では健康長寿が誇りに思われているし、確かに生まれてすぐ死んでしまうよりは遥かにいいことなんだろうとは思う。

 

でも考えてみれば、22歳で就職すれば残りの人生のうち40年以上を仕事をして過ごすことになる。いずれ死ぬ人生の中で本当にそれが幸せなのかというのは私はずっと疑問に思っている。じゃあ仕事をしなければいいのかという話は当然に出てくるが、それもまた違うように思う。私はアルバイトをしているが、やはりアルバイトのない日が数日連続すると時間を持て余す。暇なことは苦痛なのだ。することがあればいいが、特に今なんかは外出することが是とされない情勢なのでそうすると特にすることも無いまま家にいることになる。やることがないわけではないが、同じことをし続けるというのも娯楽じゃないなら当然、娯楽であっても流石に厳しい。結局私はバイトでもして金を稼いでいた方が時間も潰せるしマシだなと最近思ってしまうようになった。今まではライブがあったから休日を有効に使えていたような気がしていたが、それが無くなればいかにすることが無いかというのが露呈してしまった。

 

一人で暮らしていくというのは虚しい。家にいてもゲームか勉強くらいしかすることが無い。バイト先で同僚と軽い会話を交わしている方がよっぽど心は満たされる。それは人生においても同じだろうと思う。たかだか20年そこらしか生きていない身で言うのもなんだが、多分結婚しない人間はどこかで精神に支障をきたすような気がする。具体的には親が死んで1人になってしまった時とか。私は比較的1人で過ごすことには耐性がある方だと思う。元々一人っ子で、両親は共働き、今現在も一人暮らしと何かと1人で過ごす機会も多かった。ただそれでも今現在この状況に虚しさを感じているというのは事実で、やっぱり友人を始め、人間関係の大切さというものに20年生きてきて恥ずかしながら初めて気がついた。やはり人は1人では生きていけないのか。

 

80年以上生きていれば別れは絶対に避けられない。祖父母、両親はほぼ確実に先立つし、長く生きていればそれだけ友人や恋人、もしかしたら子供にまで先立たれるかもしれない。そうした時自分が何を感じるのか。そういう気持ちも感じたくないし、最後周りが誰も彼も死んでしまったら孤独のまま死ぬことになる。それくらいなら私はさっさと死んでしまった方がマシだ。30歳だと親に申し訳が立たないので40歳か50歳くらいがいいだろうか。

 

こういうことを考えると結局自分は自分のために生きていないなということを改めて感じる。人の目を気にして、人に申し訳を立てながら卑屈に生きている。何が楽しくてこんな人生をあと60年も送っていかなければいけないんだろうか。私は人に必要とされているうちに惜しまれて死んでいきたいしそれが何よりも幸せなことなんだと信じて疑わない。結局惜しまれたということだけが私の人生を意味付けると思うし、逆に言えば死なないと自分が生きた意味は分からないのだ。今死んだところで惜しんでくれる人がどれだけいるのかは分からないが、これから先の人生、惜しんでくれる人をなるべく沢山作るように生きて、そんな人が死なないうちに自分は死ねたらいいなと思う。周りの人間の気持ちを考えない身勝手な思想だが、それくらいは許して欲しい。長寿が幸せなんて生きづらい幻想の中でもがいているんだからそれくらいは許されてもいいかな。

就活

6月になりましたね。バイト以外で外に出ないのでもはや曜日感覚も狂いまくっているし、4月も5月も終わった感のないまま過ぎ去っていきました。

 

とは言ってもしなきゃいけないことは確実に尻を叩いてくるわけで、私も一応就活サイトに登録しているのですが、今日になってインターンの募集が始まった企業がたくさん出てきました。私は第一志望が公務員なので一般企業には就職しないのが1番なのですが全く民間就活をしないというわけにはいかず、やはり多少焦りが出てきました。思えばこのブログも1回生の4月から書いているのでそれが就活というのはなかなか感慨深いですね。当事者なのでそれどころではないですが。

 

Twitterを見ているとエントリーしたとか言ってるフォロイーがいてびっくりしています。就活って何をしたらいいのか全く分かりません。1から10まで手取り足取り教えて欲しい。一番最初にするべきはインターンでいいんでしょうか。どこがホワイト企業かとか教えてくれ。無知すぎて無理になってる。

 

民間は本命じゃないにせよどっちにしてもいい加減公務員試験の方の勉強も本腰を入れねばなりません。教養は独学で出来ると思いますが、論文と面接は無理なのでここは予備校です。ということで教養の方をさっさとケリをつけなければなりませんね。大学に通いながら(今はオンラインなので在宅ですが)だと自分の勉強が出来なくて辛い。まあこれも言い訳です。そもそもバイトを減らせばいいだろうがアホ。

 

嫌々通って3回生になった法学部ですがやはり多少はアドバンテージがありますね。論文の勉強が少し楽になるのでそれはまあ気が楽ではあります。気長にとか悠長なことを言ってられる時期は段々過ぎてきていますがとりあえず目の前の単位を取らねば。今年は夏休みも結局イベントがないで終わりそうなので勉強に専念したいと思います。そろそろバイト戦士からジョブチェンジする頃合いですね。

酒が旨いと思える人間になりたい

私はお子様舌なので酒が美味しいと思えない。そもそも周りの人間が美味しさを求めて酒を飲んでいるのかは知る由もないが、少なくとも不味い酒は飲みたくないというのは間違ってないだろう。

私が酒を不味いと思うのはひとえにアルコールの味である。ほろよい程度ならアルコールの味がしないので飲める(そもそも私は炭酸が苦手なので別の問題で飲めないのだが)けれど例えばみんなが一時期美味い美味いと言っていた檸檬堂の一番強い奴なんかはアルコールの味がしてダメだった。本当にアルコールの味なのかは知らないが多分アルコールの味なんだと思う。杏露酒とかでも同じ味を感じたので。

安い酒だからだとも言われたけれど本当にそうなのかというのは疑っている。それこそカクテルのような炭酸の入っていない他の味が強いやつならいくらでも飲めるのだ。多分私は酒はそれなりに強い方なんじゃないかと思う。カクテルなんか何杯飲んでも酔わないんだと言われてしまえばそれまでだが実際前飲んだ時は全く酔った感じがしなかった。

酔っ払って現実逃避というのが多分大方の酒の使い方なんじゃないかと思うのだが、酒は不味いので量は飲めないのにそれなりに酔いづらい体質っぽいので全く酔っ払って気持ちよくなる感覚が分からない。私も酒で酔っ払って嫌なこと全部忘れる酒カスになりたい。

まあ酒は飲まないならそれに越したことはないと言われればそれまでなのだが、そういう理屈じゃないのだ。私も酒が旨いと思える人間になって酔っ払ってみたい。友達と飲みに行ったりしたい。誰か多少高くてもいいのでうまい酒を教えてください。