バイト休むことについて
アルバイトが休む時に代わりを見つけなければ休んではいけないというルールは割と一般的です。そして私はこのルールはクソ喰らえと思っています。と言っても私は1年半以上バイトしてて1度も他人にシフトを代わってもらったことも休んだこともない優等生なのでこう言ったところであまり実感は篭っていませんが。そもそもシフト決まったあとで忌引病気以外の休みを取ることになる方が悪いのは間違いありません。私は怪しい日は全部休みにしているだけなのでそういうことがないのです。とは言ってもしょうがない面があるのは事実。
アルバイトが急に休むためにそこまでの負担を課すというのはバカげています。そんなに忠誠を求めたければ正社員をもっと増やせという話です。そう簡単にいかないのは百も承知ですが、こちらとしては知ったことではありません。
ただ私が言いたいのは休んだ後の職場のことです。別に代わりを見つけずに休むのは勝手ですが、バカ正直に出勤した真面目な人間が1人いない分割を食ってめちゃくちゃ忙しく働く羽目になります。それでいて給料は増えない。代わりを見つけるのが社員の仕事だと言えばそこまでですが、社員だって労基法に守られていい人間だしコンビニのオーナーとかの方がおかしいわけで、人がいない分自分が出勤して埋めるなんてのは限界があります。他に出勤できる人なんてのも有限です。だからむしろ人間関係的に比較的親密であるはずのバイト間で代わりを探せというのはしょうがないとも思います。社員に出てと言われるより友達に代わってくれないか頼まれる方が助けてあげようという気持ちになるのは事実です。
それで見つからないのはしょうがないですが、ちゃんと自分が休んだあとのバイト先に対して申し訳なさを持って欲しいと言うだけの話です。普通にしんどいので。客にありがとうって言われるだけで少し楽になるように、休んだ人にごめんなさいありがとうと言われれば少し報われた気になります。それくらいの気持ちは見せてくれてもいいのでは?今日しんどかったです。
話は逸れますが、私は学生という身分は存分に活用するべきだと思っています。学生である以上法を犯さなければ守られるわけで、そこが社会人とは違うわけです。別にバイトなんてクビになった所で他を探せばいいし、責任の重さも社会人とは比べ物になりません。そこで学生のうちから言いたいことも言えないで我慢しているのは馬鹿らしいと私は思います。だから私はおかしいことはおかしいと言うし、はっきりと言いたい事を主張するのです。さすがに社会人になったらこの態度は改めますが、学生なのに社会の一員として自己を殺して協調だけを求めて生きていくのは馬鹿らしいし、それこそ最後のモラトリアムなんだから好き放題やればいいと思います。学生という身分に守られるのもあと1年半だけで、それからは誰も何も守ってくれないんだから。これが私の高校時代から根底にある意識で、その分周りに沢山迷惑をかけてきたのは分かっています。でも私はそれで周りに対してちゃんと申し訳なさを持っているという話です。まあ別に正当化したい訳では無いですし、本当はこの話を繋げるつもりもありませんでした。書いてるうちに繋がっただけです。私には私なりの行動理念があるということを伝えたかったのでこれにて終わりです。
旅行
旅行記はそのうち書きたいと思ってるのですがめんどくさいんですよね。別に面白い話がある訳でもない普通の旅行しかしてないのでそんなに面白くないだろうっていうのも気が進まない一因ではあるのですが、私は旅行の計画立てる時に他人の行程を見たりするので(一切参考にしないし、そもそも私の興味範囲が神社、水族館、夜景と偏ってるので参考になる旅程で出かける人があんまりいない)、意外と何の変哲もない旅行記も需要があるのかもしれないです。
そもそも私が家族旅行以外で初めて出かけたのは高二の最後の方に静岡の河津まで始発の鈍行で河津桜を見に行って、小田原経由で帰ってきた日帰り旅行だった気がします。もうTwitterにもログが残ってないので遠い過去です。私は中流階級かそれよりも少し上かと言うくらいの恵まれた家庭に生まれ、しかも一人っ子だったので散々お金は注ぎ込まれてきた自覚があります。それは別として、うちはかなり旅行が多い家族だったので幼少期から色んなところに行ってきたんですよね。もうどこ行ったかなんてほとんど覚えていないので勿体ないですがもう10年以上昔の話なのでしょうがありません。自我も確立していない保育園児、小学生にとって旅行なんてものは親に連れられて知らない場所に行くことでしかないので印象に残ってることなんてほとんどありません。アンパンマンの映画の内容の方がよく覚えてるくらいです。
ただ私が大きくなってからは私も自分の予定というものが増え、更に家庭内で色々あったため旅行なんて行かなくなってしまいました。そんな時に突発的に河津に行こうと思い立ったわけです。何も覚えてなくてもやっぱり旅行好きというのは醸成されていたのかもしれません。当時は何も分かっておらず、高校で学割証を出すのもなかなかにめんどくさかったため、かなり交通費をかけて行った気がします。今思えば「河津桜を見たい」なんてすごくふわっとした目的でよく始発で静岡のしっぽの方まで出かける気になったな。今なら絶対そんな気力は無いです。
とまあ時は流れ大学生になる訳ですが、私の旅行はもっぱら遠征に置き換わりました。たまに日帰りで関西圏を回ったりはしていましたが、やっぱり圧倒的遠征数の前では霞む。1回生の春にTrySailのライブに行った時はまだ新幹線を使うという脳があったのですが、ライブ中毒者になってからはそんな高いものは使えるはずもなく夜行バスで行って夜行バスで帰る0泊3日遠征を3週連続でやったりと狂人のようでした。あの頃は元気だった。まあそんなわけで金も時間もなく、遠征も旅行のうちとも言えるわけで、まともな旅行はしばらくなかった訳です。夜行遠征以外で限界遠征をしたのは、去年の11月の名古屋(日帰りのつもりがスーパー銭湯に1泊して深夜の4時くらいに出て2時間歩いて名鉄の駅に行って物販後京都に戻って大阪のライブに行った)と12月の札幌(1泊2日北海道とかいう何も出来ない日程、雪に降られて凍死しそうだった。ホテルはカプセルホテル)って感じですね。東京京都間を18きっぷで往復するのは何回かやってるので特筆すべき話では無いです。ただ往復18きっぷで1泊2日はさすがにしんどかった。精神がやられる。
とまあ今年になってコロナのせいで遠征することも無くなり、鬱憤が溜まってたところにGoToトラベルが始まって(始まる前に金沢旅行はしたけど)、旅行をしまくるに至っているという次第です。旅行記は気が向いたら書きます。
2020/4/4-5 石川
2020/8/22-25 香川愛媛広島島根
2020/9/5 香川
2020/9/8-10 石川福井
2020/9/15-21 北海道
2020/9/24-25 長野富山千葉
2020/10/3 和歌山
以下予定
2020/10/24 和歌山
2020/11/21-27 島根山口福岡大分長崎宮崎鹿児島
11/28-29 宮崎
もしかしたら12月に竹田城行くかも
酒を飲んだ
私は大学に入って以降基本的に日陰者なので複数人で何かをしたりということは今まで特になかったのだが(これは嘘でオケの飲み会は何度か行ってるがあれは質が違うので除外)、今日はバイト先の人と飲みに行きました。私入れて男3、女1です。本当はもっと来るはずだったのですがドタキャンと予定かぶりで半分になってしまいました。一体何がダメだったんでしょうかねー。
その女の子とは何回かサシでご飯行ってるんですが、それ以外のバイトの人とご飯食べるの自体初めてでした。というかうちのバイト先は飲み会の類もないし交流が少なくて結構寂しいんだよな。 久しぶりに酒を沢山飲んでしまいました。レモンサワーローラーとかした。9杯飲んだけど全く酔わなかったです。これは酒イキリではありません。どちらかと言えば悲観です。
その話は置いておいてバイト先の話をしたいと思います。現在バイト先にいるバイトを挙げます。さんが女で君が男です。
S1さん(家の方向が同じ)
Hさん(家の方向が同じ、早上がりが多いので月に1度ラストか被ればいい方)
S2さん(家の方向は違うけど2人の時は途中まで一緒に帰る、割と早上がりする)
Aさん(家の方向は同じ、一切一緒に帰ったことがない)
Nさん(家の方向は多分同じだがすぐ別れるので一緒に帰ったことは無い)
S君(一番好きな男、あまりバイトに入らない)
U君(家の方向が真反対)
A君(家の方向が同じ)
K君(家が隣、最近入った、めっちゃシフト入る)
これに私なので完全に男女比1:1です。スーパーとしてそれでいいのか。私は基本的に女の子と帰りたいです。何となく男と帰るより女と帰る方がよくないですか?これは男に言うとだいたい共感してもらえるのですが、女に言うとだいたい女好き(字面だけ見れば間違ってないけど意味としては間違い)と取られるのであんまり言いません。でも男の皆さんは何となく分かりませんか?何かを求めてる訳では無いけどやっぱり女の子と帰れば何となくそっちの方がいい気がする。下心なんでしょうか。そのつもりは無いんですが真相の程は分かりません。
とにかく私は特にS2さんと帰りたいのですが、まずラストが被らないとそのチャンスすらない。ラストが被っても他の男も一緒だと更衣室を出る関係で男と帰らざるを得なくなり、S2さんは別方向で帰ってしまう。U君に至ってはバイト先の出口でバイバイなのにそこまでは一緒だから放り出された挙句一人で帰ることになる。別にS2さんを待ってればいいだけの話ではあるのだがそこまですると今度は恥ずかしいようにも思える。いろいろめんどくさいのだ。
問題はK君である。K君は最近入ってきたのだが一昨日家が隣だと判明したため一緒に帰るしかなくなってしまった。しかもK君、就活も終わってない、単位も取りきってないという駄目4回生なのだが、そんなことしてていいのか、バイトにめちゃくちゃ入るのである。彼のせいで私は毎日彼と帰る羽目になる。しかも相手は全然話を振ってこないので私が喋りっぱなしなのだ。私は喋るのは結構好きだがさすがにこれはしんどい。ぶっちゃけて言えば彼とは帰りたくない。他の女の子と帰る余地も無くなるし、そもそもそれを抜きにしても一緒に帰っても楽しくない。早く辞めて欲しいというのが本音だったりするが、そんな身勝手なことは言えないので我慢するしかない。バイト先に女が増えることを願うしかないのである。
私が一緒に帰りたい順
S2さん>S君>>>>Hさん>>A君>S1さん>>>>>>>>>>>>>>>>>K君
どうでもいいけど最近どうでもいい記事が増えてていいな。ブログは鬱の掃き溜めにしておくのもあまり好ましくないと思ってるので。どうでもいい記事でも暇な人は読んでくれたら嬉しいにゃん❤
時間が経つのが早い
定期的に言ってる気がしないでもないが、時間が経つのは本当に早い。これはよくする話なのだが、私は高校時代自分がセンター試験を受けているという像が想像できなかった。予備校のCMではよくセンター試験や2次試験を想定しているであろう映像が使われるが、あそこに自分がいるというのが想像できなかったのだ。それでもあっさりとその時点は過ぎ去ってしまった。
京都に来てから3回目の秋がやってきた。これもまた信じられないことだ。今もまだそうだが、やっぱり私は自分が就職して働いているという像を想像できないでいる。だがコロナで遅れた就活もほとんどの人が終わっている時期だろう、次は自分達の代の就活という時期にもう差し掛かっている。就活もそうだが、秋になったということは私が京都で過ごす夏もあと1回しかない。これもまた全く実感がない。そもそも一人暮らしを始めたのもまだ2年半前のことでしかないのだが、何となくこのままバイトをしながら大学に通って京都で一人暮らしをし続ける気持ちから抜けられないがそんなことはあるわけなく、あと1年半もしないうちに私は東京に戻って会社勤めをすることになるのだ。大学生活が2年半過ぎたことを考えればこんなのは本当に目と鼻の先にあるだろう。
私はあんまり未来に対する思い入れがない。というかこのまま生きていても特別いいことがあるとも思えないのであまり期待していないのだ。今すぐに死にたいとも思わないが、この先苦しんだり、悩んだりすることもきっと多いだろうし、そういうことを考えた時にこの先自分が体験する喜びが勝るだろうかと考えれば恐らくそんなことは無く、割に合わないように思う。ただ生きてただ死んでいくんだろうなという漠然とした思いがある。そう思えば残りの人生が60年もあるのは馬鹿馬鹿しくさえ思える。
代わりにと言ってはなんだが私は過去に執着するタイプらしい。卑近な話ではあるが、やっぱり自分よりも前にバイト先にいたアルバイトが辞めていくのは悲しい。過去はそこに自分が存在する前から確かにあったもので、それが今の自分の存立に関わっているという意識があるからだと思う。逆に自分よりあとから入ってきたアルバイトが辞めたとしても仲が良ければ寂しいとは思うだろうが、別に仲が良くなければなんとも思わないだろう。バイト先のスーパーという観点から見たときに、「私がバイトしているスーパー」以前に「バイト先としてのスーパー」の時間は流れていたわけでそこに関わっていた人に思いを馳せてしまう。
私は未だに高1の合宿を思い出すし(これは人生で最大級に楽しい体験のうちの一つだった)、高2の文化祭も、結局過去ばかりである。振り返ることも大事ではあるが、こう後ろ向きにばかり生きているのも我ながら良くないなと思いつつもこれは性分なので仕方がない。こんなことを書いている暇があるなら勉強しろ。
コロナ禍でのライブ
この半月ほどで9/22鬼頭明里東京、9/27鬼頭明里大阪、10/9サンドリオン、10/10DIALOGUE+JAM昼夜と現地ライブに立て続けに参戦してきました。次が行けて11/15の麻倉ももさんなのでとりあえず一段落という感じです。もちろん今まで通りの楽しみ方とは行きませんでしたが、配信ライブ等も何個か見てきてやっぱり現地がいいなーというのが感想でした。
以前のライブと違った点として、入場時にいろいろと増えたのはありますが、レギュレーションという点で言えば、全てのライブでマスク着用、コール禁止、前後左右一席開けるというのは共通してましたが、鬼頭明里さんのライブは、フェイスシールド着用(配布)、サンドリオンは前述の以外なし、DIALOGUE+は着席という点で三者三様でした。1つずつ振り返っていきたいと思います。
①共通
まず個別のを見ていく前に共通のレギュを振り返ります。
まずは「前後左右一席開ける」です。座席指定はもちろんとして自由席だったサンドリオンも一席ずつ使用禁止のシートがありました。隣がいないといくら多動してもぶつかったりしないし、隣の席のスペースを荷物置きにも使えます。めちゃくちゃ快適で今後ともこれは続けていただけると助かります。
次に「マスク着用」です。これはライブと言うよりはもう世間のレギュレーションみたいなものになっているので特に言うことはありません。めちゃくちゃ動いた時だけ少し息苦しかったですがまあその程度です。意外と気になりませんでした。
最後に「コール禁止」です。これが一番の違いですね。これだけは正直しんどかった。時々入る雑音みたいなコールが無くなったのはいいかもしれませんが、正規コールも禁止なので一体感がだいぶ薄れました。当然サンドリオンでたくさん入ってた簡易なmixも禁止です。始動のパンパパパンパンの拍手だけ入っててある意味面白かったです。これに関しては本当に早くコールできるようになって欲しいです。私は頑張って跳びまくってコールの代わりにしましたがめちゃくちゃ疲れた。
②鬼頭明里
入場時に配布されたフェイスシールド着用で、コールは不可ですがジャンプはOKでした。フェイスシールドは邪魔は邪魔でしたが、我慢できる程度でした。Desire Againでバチバチに高まった時だけフェイスシールドがめちゃくちゃ曇りましたが視界を遮ることは無かったのでやっぱりまあしょうがないかなって感じです。息苦しさはマスクだけの時と大して変わりません。飲み物が飲みにくいくらいか。
他に特筆すべき点と言えば本人確認があったことでしょうか。東京は全てがガバガバでしたが、大阪は急に厳しくなり、座席と名前をパソコンの名簿で照らし合わせてガチガチに本人確認してました。荷物検査もめちゃくちゃ厳重でした。名古屋は少し緩まったらしい。まあ本人確認はこれから増えるんじゃないかと思います。座席と座ってる人が一致しないと何かあった時に困るだろうし。実際大阪では弾かれたと思われる空席がチラホラありました。
これは共通のレギュ以外で禁止はなかったです。マスクだけでジャンプもし放題でした。去年のクリスマスライブでめちゃくちゃ治安が悪かった(楽しかったのでいい意味でですが)ので大丈夫かと思っていましたが、みんなちゃんとコール禁止のレギュを守っていました。コールできないのは痛いですがジャンプしまくってめちゃくちゃ楽しかった。後で書きますがサンドリオンに関してはそれなりの声優現場と違って元々高速クラップとか、曲冒頭以外でもずっとクラップが入ってたりしたので特に変わりはありませんでした。
④DIALOGUE+
原則着席でした。地獄。最初に断っておきますが、ライブ自体はとても楽しかったです。守屋亨香さんめちゃくちゃ可愛かったしカバー曲めちゃくちゃ強かったし、鬼頭明里さんの曲めっちゃ拾えたし。でも普通のライブだったらこの5倍は楽しかったろうなとは思いました。
原則着席ということで当然ジャンプもできません。尻を座面から離さないように気をつけながらなんとか多動してましたがやっぱり限界はある。GO!GO!MANIACとかコールもジャンプもできないのしんどすぎん?むゲ恋もよいまちカンターレもしんどすぎた。内容が良かっただけにやっぱり悲しさが強かったです。内容は良かったけどこの3つのライブの中だったらやっぱりこれが一番楽しさは低かったです。何度でも言いますが楽しかったのは前提ですが。ちなみに11月の麻倉ももさんのライブも原則着席ということでまたこれなのか…
DIALOGUE+を生で見たのは去年のアニサマのけやき以来の2回目でした。ちなみにこのけやきはワンフェスの次の2回目のステージなので私は超古参です。全然イベント行ってないので誇れませんけど。アニサマのけやきなんてアニクラと大して変わらないので治安はまあお察しな訳ですが、今日のライブもその片鱗がありました。もしかしてDIALOGUE+って普段から治安悪め?何がって声優現場ってだいたい四拍子のクラップしか入らないんですが、今日は普通に高速クラップとかそういうものをやってる人がいました。声が出せないから代わりにってことなのかもしれませんが私は他のイベントに行ってないので判断がつきません。
総括としては現地はやっぱり楽しいし、いくらレギュが制限されても、なんならマジで多動すらするなと言われたとしても、生で音を浴びれるのはデカいです。not生バンドで多動禁止だと流石につまらないかもしれない。それでも配信よりはマシな気がします。家で配信見て多動してても虚しさがあるので、それよりは現地で地蔵の方が楽しいかもしれない。諸説ある。それはさておいてやっぱりコールは出来ないときついですね。早く元のレギュに戻る日が来るといいのですが…まだ無理でしょうね…
子供
私が最近結婚願望が強いことは再三書いている通りですが、私は子供はいらないと思っています。でもここを突き詰めると結局矛盾しているなーってさっき思いました。子供がいなければ結局配偶者が先に死んでしまったら一人になってしまうからです。そんなことも今まで考えたことがなかった。
そもそも私は子供がいらないというのは覚悟がないからです。私は子供は好きです。可愛いし、バイトを始めてからは一種の清涼剤のような存在になっています。でもそれは子供一般の話であって、自分の子供となると話は別です。私は親は全面的に子供に対して責任があると思っています。子供は親に産んでくれと頼んだ訳では無いから。これに尽きます。実際私も産まれてこなければ良かったと思うことは多いです。ただそんなことを親に言おうものならヒステリーになられて終わりなので言いませんが。私がこう考えるようになったのは「自分と同じような辛い思いをして生きていく人間を1人でも減らしたい」ということからなのですが、この話だけ親にしたら笑われました。笑い事じゃねえぞ。
でも結局いくらヒステリーになったところでこの事実には反論のしようがないわけで、結局は子供を作るのは親のエゴでしかないわけです。だったら親のエゴで産まれてきた子供に対して親が最後まで責任を取るのは当然の事じゃないでしょうか。少なくとも自分が死ぬまでは子供がニートになろうと何をしようと許容して養っていく義務があって然るべきです。別に私が親にそうして欲しいわけではなく(して貰えるならそれに越したことはないですが無理なので)、一般的に考えてそうとしかならないでしょう。「誰が育ててやったと思ってる」と言われたら「お前が産んだんだから育てるのは当たり前だろ」と言えるのが本来のはずです。
まあこれは理屈の話です。多分仮に自分に子供が出来たらこう思っていたとしても、反面子供に対してはどうしても自立を求めてしまうでしょう。流石に30の息子が家でプー太郎をやっていてもニコニコ養ってあげるような強靭な精神力が私にあるとは自分自身思えません。それに、一人で生きたくないという元の願望がある以上、最期は子供がいれば子供に迷惑をかけて晩年を過ごすことになるでしょう。それは親が全面的に子供に対して責任を取るということに反します。今までの恩返しとかそういうことを思って自発的に世話したり葬式をあげたりしてくれるならいいですが、そもそも子供がいなければ子供に迷惑をかけることもないし恩を着せることもないので結局全てそこに終着します。
ということでいろいろと分からなくなってしまいました。自分の生き方なので自分で決めなければいけない(このこと自体今までの理論からすればおかしい話ではありますが)ので悩みの種がまた増えてしまいました。でも多分結婚したら性欲に負けるし、自分の子供を欲しいと思ってしまうんだろうなあ。こうやって次の世代に何も考えず問題を投げてきたのが人間なのかもしれないですね。