威風堂々

春から社会人

劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンの感想など

オタク北海道旅行中ですがオタクなので札幌で劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンを舞台挨拶のライブビューイング付きで見てきました。北海道じゃ旭川と札幌でしかやってないらしいので舞台挨拶の日に札幌にいて良かったね(ちなみに公開日も旭川にいたので見ようと思えば見れた)。

 

ここからは少しネタバレになるのですが、いきなり冒頭から泣きました。アニメ版10話のアンの孫の話から始まるのですが、アンの名前が出てくる前からこれアンの話じゃん!って気づいて泣き始めました。ヴァイオレット・エヴァーガーデンはブルーレイ全巻買ったくらいには好きなのですが中でもこのアンの話はお気に入りで初見で1番泣いた話だし何回か見てます。アンが最後まで家族に囲まれて幸せな生涯を送ったのが分かって嬉しくなりました。このアンの孫のデイジーがCV諸星すみれさんでアンと同じなんですね。クレジット見てまた泣いてしまいました。

この劇場版の話は大きく分けて、「ヴァイオレットとギルベルトの話」と「ユリスの話」に分かれるのですがユリスの話の方が本当に良かった。基本的に人が亡くなる話に弱い人間なので当たり前っちゃ当たり前ですがボロ泣きしてました。

ヴァイオレットとギルベルトの話も良かったし最後はちゃんとハッピーエンドになったので感動ポイントでした。少し欲を言えばギルベルトの態度がじれったかったなって言うのと結構あっさり生存がわかったのが味気なかったなとは思いますが展開としては申し分なかったです。最初から最後まで誰かに想いを伝える事が貫かれていた作品だったので、最後の最後でギルベルトがヴァイオレットに想いを再び伝えられて最高の終わり方だったと思います。

ヴァイオレットが「愛してる」の意味を探すのが根底にありましたが結局ヴァイオレットが最後までギルベルトに「愛してる」を伝えた描写がなかったんですよね。代わりに最後のデイジーの手紙です。個人的な思いとしてはヴァイオレットの口からギルベルトに「私も愛しています」みたいなことを言って欲しかったなというのはありますが、それを言ってしまうと安っぽくなってしまうのかも。微妙なところです。

主題歌もとても良かった。壮大でかつ作品に寄り添った歌詞でさすがTRUEさんだなと思いました。

 

舞台挨拶の方ですがやっぱり石立監督が印象的でした。はっきりとは言いませんでしたが、昨年の京アニ事件を受けて公開ができるか怪しかった中でこうやって公開にこぎつけられたこと、それに対する想いが滲み出ていました。本編終了後のスタッフロールにも昨年の火事で亡くなられた武本康弘さんや池田晶子さんをはじめとした多くの方々の名前も書かれていて、あの事件を超えていくという思いを感じました。ちなみにスタッフロールに名前を見つけた時私は最後の大泣きをしました。

ムビチケもあるしまだ何回も見たい作品なので近いうちに2回目、3回目と行こうと思います。素晴らしい作品をありがとうございました。

男女の友情は成立するか

具体的なことがあったといえばあったしなかったと言えばなかったのですが(まあ少なくともフォロワーとの話ではない)、私は基本的に女と遊ぶのと男と遊ぶのでは楽しさの質が違うと思っています。どうしても同性と遊ぶことが圧倒的に多いのですが、質が違うのでだからこそ、それでもやっぱり女の人とも遊びたいなーと思います。これは下心抜きで単純に友情であったり親しみであったりそういうものから来る感情です。

男女の友情は成立するかという問題はよく語られますが、私は結論だけ言ってしまえば成立するとは思います。ただし正確に言うのなら「成立しないとは思わないけど成立しづらいのは確か」です。恐らく大衆の意見もこうなんじゃないでしょうか。

例えば2人で遊ぶ場面を考えれば、男女2人でご飯に行くことはあると思いますし実際私もたまに行きます。ボウリングとかカラオケもきっと行く人はそれなりにいると思います。でも旅行を考えてみれば突然ハードルは跳ね上がります。

「友達と2人で旅行に行く」と言えばきっと行く人は結構いるでしょう。なお私は友達が少ないのでその経験すらありません。悲しいね。それは本題じゃないので置いておくとして、「男女の友達2人で旅行に行く」ということが成立するかという問題になれば途端にほぼありえないのではないでしょうか。日帰りならともかく泊まりなら確実にないと思います。少なくとも私の常識の範疇では。

前に私の恋愛観について書いたことがあったと思いますが、私は付き合わなくてもいいので一緒にご飯行ったり旅行できたりすれば問題ないわけです。でも結局前述の通り異性と友達の関係で旅行に行くというのは無理な話で、そうなると結局恋人になるしかないという結論になってしまいます。

こういうことを考えればやっぱり、「完全な形での友情」が成立するのは男女間では厳しいものがあると思われます。まあほんとに仲良かったら2人で旅行に行く男女もいるんでしょうか。私には分かりません。でもそうだとしても2人で旅行に行くハードルは女同士より男女の方が高いのは間違いないので、やっぱり成立しづらいということになります。

私は執着心が強いらしいので特にですが、自分が行けなくて女同士で行ったってのを聞くと羨ましいなあと思ってしまいます。まあちょっといろいろあってここから先は具体的な話になってしまいますのでここで終わりますが、男に生まれたことが悲しいなと思う次第です。私も女に生まれて女の子と旅行行きたかったです。

自己分析

最近ちょっと個人的に重大な事件があり、それをきっかけにして自分のことを見つめ直すことになった。そこで個人的には新たな発見だったのだが、私は恐らく人並みよりも特定人に対する執着が強い人間なんだと思った。私にとっては新発見だったのだがもしかしたら傍から見れば今更って思われるのかもしれない。せっかくなので記録として残しておこうと思う。

まずどうしてそれに気づいたかという話だが、バイト先の同僚に特定人に対する執着(好きも嫌いも)が強い人間がいてその人を見ていて自分も似ているかもと思ったのだ。以前同僚の恋愛の話を書いたのだが、それの当事者である。誰にどのアルファベットを振ったか確認するのもめんどくさいので振り直すが、AさんはB君とC君と付き合ってたことがあるというのを前提とする。AさんはB君の事が今はめちゃくちゃ嫌いである。逆にC君には未だに相当執着していて未練タラタラなのだ。私はその痴話喧嘩的なものを聞いてめんどくせえ女だなーと思っていたのだが、よく考えてみれば自分も似たようなものかもしれないと思い至ったのだ。

まず数日前にも書いたことだが私は一人であることに対する恐怖心がかなり強い。そのくせ、仲のいい人間が少ない。その結果執着心が強くなっているのだと思う。

過去を振り返ってみた。片思いが1番わかりやすい例なので出すが私は割と一途な方で小中9年間、高校3年間それぞれずっと特定の子に思いを寄せていた。まあそれくらいならよくある話かもしれない。友達面だが、今となっては連絡をとっていないが中学時代にそう考えてみれば確かに執着していた男がいた。高校時代にも執着していた人間がいたし今もこちらから連絡をとって会っている。大学に入ってからだがオケをやっていた時にはそんな人はいなかったが最近バイト先にそれなりに仲のいいコミュニティがあって、その中の一人に執着している節がある。

執着するとどうなるかという話だが、嫌われることを極端に恐れる。私は基本的にどうでもいい人間にはどう思われてもいいというスタンスで生きているし、どうでもいい人間の範囲も相当広いと思っているので割と奔放である。ただ執着している特定人に対してだけは本当に1ミリも嫌われたくないらしい。ある程度仲良くなればお互いに軽口を言うような関係性にはなるし実際そういう関係性も少なからず存在しているのだが、特定人に対しては軽口を言ってもその後嫌われていないか相当悩んだりする。書いていて思ったが、嫌われるというより距離を置かれるの方が正しい表現かもしれない。とにかく相当引きずる。基本的に脊髄で会話するような時でもたまに急に言葉を選ぶこともあるし、内心では決定的に決裂を招きかねないようなことを言わないようにビクビクしている。ここら辺の表現のさじ加減は難しいのであんまり上手く表現出来ていない気はするがまあ大体はそんなところだ。

これを読む可能性のある人達の中には私自身が執着していると思っている人はおそらく含まれない(もしかしたら1人は読める可能性があるがおそらく読まないと思う)のでこれを読んでしまった人も安心してください。私はあなたには執着していません。今のところはね。

とにかく自分にはそういう所があるんだなと思った次第でした。

水族館の話

口コミっていうのは全くあてにならないもので、良かったという評価はほとんど書き込まれないのに悪い評価は文句をつけてやろうという心持ちの人間が書きまくるからバイアスがかかっている。バイト先のお気持ち表明もそんなのばっかりなのでうんざりする。まあ最近はコロナでお気持ち表明中止されてるのでそんなこともないが。話は逸れるけどお気持ち表明ってのも完全にネットスラングになってしまったね。人を馬鹿にするニュアンスが多分に含まれている。それにしてもやっぱり褒めてくれるお客さんはほとんどいないのに文句を言ってくる客は1日1人くらいは当たってしまうのでろくでもない世の中だなあという気持ちが強い。

 

とまあそんな話はおいておいて水族館の話だ。最近私はかなりのペースで水族館に行っている。元々水族館はかなり好きだったが周りに水族館好きがいることを知って俄然モチベーションが高いのだ。この間四国水族館に行ったのだが、個人的にはとても良かった。まずオープンしたばっかりなので綺麗だった。イルカショーの内容も良かったし後ろに広がる瀬戸内海もとても綺麗だった。イルカプールは下が深くなっていて下からも見れるようになっていたのも楽しかった。魚の種類も多く、館内もかなり広かった。

そんな感じだったのだが、先日その四国水族館の口コミを見たところ相当低い評価をしている人間が多かったのだ。前置きでも書いた通りクチコミなんてものはあてにならないし実際に自分で行ってみないとそこがどうなのかなんて判断はつかないのだが、やっぱりそういう評価がついていると気になりはするものだ。

評価を下げるようなコメントとして1つあったのは「1つの水槽につき1つの魚の名前しか書いてなくて他の魚の名前が分からなかった」というものだ。確かにこれは事実で、同じ水槽に何種類も魚がいるのに全ての魚の名前が書かれていなかった。書いてある魚にも特に解説などはなかったので不満に思う人がいるのはわかる(それで最低評価をつけるのはどうかと思うしそういう極端な評価を下す人間が多いのが口コミというものではあるが)。

ただこれは単に水族館の楽しみ方の問題のはずである。恐らくその口コミを書いた人は水族館に知識を求めに来たのかもしれない(子連れの人もそんなこと書いてたので子連れでそんなこと気にするのかよって思ったという話はある)。しかし、私も含めて水族館の楽しみ方の主流派の1つはあくまで展示を眺めるというものであることは理解すべきだろう。私は水族館は好きだがどの魚がどんな名前でどんな習性を持っているのかなんて全く知らない。さすがにお気に入りの魚くらいは分かるが、言ってしまえばメジャーな魚の見分けがつかないことなんて日常茶飯事である。あくまで私は水族館という空間が好きなのであって、魚の一つ一つを見に来ている訳では無い。魚や海獣が集っていてそれをボケーッと眺めて綺麗だな面白いな可愛いなと思える場所としての水族館を楽しんでいるのだ。そりゃ解説が丁寧なのにこしたことはないが別に無くても無いなりに普通に楽しめる。

結局口コミなんてのはその人個人の感じ方ひとつなので気にしてはいけない。と言っても私自身もホテル決めたりする時に口コミをそれなりに見たりもするので難しいところだ。結局は自分の目で確かめるのが1番なのだがそういうわけにもいかない。こういう話は不完全情報、不完備情報のとこでやった気がする。結局口コミは代理人と一緒なのかもしれないですね。ただ見ず知らずの代理人を信用しろという方が無理なのでやっぱり口コミは話半分に聞いておくべきでしょうね。自分の中で何を重視するかという軸を持っていれば多少はあてになるかもしれないですね。急に知的な話をしてしまった。滲み出る知性。

こういう話をした後でなんですが、他の水族館に行けば行くほど京都水族館はつまらない部類の水族館だなあという気持ちになるのであまりおすすめ出来ません。年パスまで持ってる身で言うことでは無いですが。空間を楽しむんだったらどこの水族館も正直変わらん(真理)

所感

今日は1日休みだったのでコインランドリーに行って、髪を切って、病院に行って、勉強して、買い物してかなり充実していました。

3400円で髪を切ってもらったのですがやっぱりよかった。私は基本的に1000円カットでしか髪を切らない人間で、どうせ誰にも見られてないだろうというメンタリティで生きてきたのですが、我ながらどういう心境の変化か最近はそれなりに身だしなみに気を遣うようになっています。髪を切るだけなら1000円カットで充分なのですがやっぱり1000円カットでおまかせで切ってもらうわけにはいかないし、私自身何が似合うかとか全くわからないので少しいい所で似合うように切ってもらったらやっぱりすっきりしました。

大人になるというのはこういうことかもしれない。子供は基本的に自分の世界で生きているので自分さえ良ければいいのですが、大人になると社会の中で生きていかなければいけない。大人になったらお金もできるし、身の回りのことにいかにお金を使えるかというのがその人の評価に直結するように思えます。低価格帯から中価格帯というのは少しお金を出すだけでサービスの質がかなり変わるように思います。髪を切るにしてもそうですし、あとは高速バスなんかもそうです。この少しをケチらずに出せるのが大人なのかなと思いました。

 

不安

将来に対する不安というものは常にある。中高生の頃からぼんやりとは抱いていたが、やはり大学生にもなり、しかも大学生活も折り返してしまったわけであと少しで社会人になると思うとその思いはさらに強く、現実的なものになってしまう。

「将来」とひと口に言っても仕事だったり、結婚だったり、老後だったり、いろいろある訳だが、私が最近殊更気にしているのは結婚である。結婚というのは遠いものだと思っていたが、もう21にもなり、結婚する人も出てくる年齢である。大学生から続いたカップルが結婚するというのも恐らく珍しい話ではない。そういう意味で今が結婚とそれなりに結びついているという感を受けるのだ。

そもそも私は昔結婚願望が強い方ではなかった。別に結婚なんてしなくても生きていける、他人のために自分の時間やお金を使うなんて無駄だ、そう思っていた。だが少し歳を重ねるにつれ、一人で生きていくことの辛さというものを想像するようになった。

私は一人っ子なので、両親が死んでしまえば他に頼るものは無い。従姉妹達とは疎遠だし、近くに住んでいる訳でもないから頼れる親類というものがいないのだ。日本人の平均寿命は80~90くらいだが仮に親が90まで生きたとして、私が80で死んだとしても、20年間は親がいない世界で生きていかなければいけない。そうした時誰かが傍にいないというのはものすごく辛くて不幸なことに思える。それが直接的に結婚願望と結びつくのかと言われれば違う気もするが、やはり分かりやすいのは結婚して、配偶者と子供がいるという状況だろう。少なくともこれならば一人ではない。そういうことを考えた時やはり就活はなんとかなっても結婚が何とかなるビジョンが見えなくてどうしようもない不安に襲われるのだ。

生涯独身という人も増えているらしいがそういう人たちもきっと充実しているのはせいぜい若いうちだけで、老後になったら寂しい人生を送るんじゃないかと思ってしまう。そういう訳で私は結婚できないならさっさと死んでしまいたいと思う。正直さっさと死んでしまいたいのは根底にあるのだが、結婚したら何か価値観が変わるかもしれないのでそこは保留です。

まあこの不安を解決する一つの策にシェアハウスみたいなのがある訳だが、ロンリーホームならともかく、結婚できない独身オタクを集めたシェアハウスなんて地獄である。さながら刑務所だ。

友達関係というものがずっと続けばそれもいいと思う。だが仮に友達がみんな結婚していった時、学生時代の独身の友達に構ってくれるだろうか。私はそうは思えない。多分各々が各々の生活で精一杯で他人の世話なんてしている余裕はないように思える。

大学生同士の恋愛は始まり方というのが割と想像がつきやすいように思える。出会いも多いだろうからだ。だが社会人になってからは私の拙い想像力では社内恋愛くらいしかビジョンがないように思えてしまう。そうすると結婚なんて無理なんじゃないかと思う。

そんなことを考えていると周りが呑気に「彼女欲しいー」とか言ってるのが私は不思議でならない。私はそれなりに焦りを持ち始めているしこのままだと一生結婚できない気がしているから割と切実なのだ。焦ってもいいことはないし価値観が合わない人と一緒にいてもしょうがないのは分かるが、それでもやっぱり1人よりはマシに思える。

もう少し歳をとると「この人がいい」から「この人ならいい」みたいな恋愛観の人が増えるみたいな話を読んだことがある。きっと今の私みたいな考えの人が増えてくるのも一因なのだろう。そうするとまだ焦る頃合でもないとも言えるが、私は別にスペックが高い訳でもないから待っているだけで何かが変わると思えない。現実は厳しい。

他人の話

昨日恋愛絡みの話を書いた(もう消した)んですがその中で出てきていたバイトの同僚が同僚に告った話を書いておこうと思います。(この話には私自身も私が好きな女の子も出てきません)

A(告白した男)

B(振った女)

C(同僚、Aの元カノ)

D,E(同僚の女、Aと仲がいい)

 

AはBに一目惚れしてずっと好きだったらしいです。でもBに彼氏がいるらしいということを知って(2019/7)、身を引くことにしたらしい。そこで現れたC、「じゃあ私で良くない?」と言うことでAとCは付き合うことになったらしい。この時点で私にはよく分からない。でも話を聞いているとCも相当めんどくさい女で、自分が1番じゃなきゃダメらしい。なんでそれで「じゃあ私で良くない?」になるのか。お前が良くないだろうと。まあなんやかんやあってAとCは別れる。AもCもめちゃくちゃめんどくさい人間なのでしょうがない感。そんな中でBは彼氏と別れたらしい。そして再びAの想いがBに向けられることになります。AとBは普通に友達としてかなり仲が良かったわけですが、AはBにCとの拗れてる話を逐一報告し、またDやEとしょっちゅう一緒に帰ったり家で遊んだりしていた。BはAを振る時「ほんとに好きなの?」って聞いたらしい。まあそう思うのも無理はないな。いちいち全部報告されててどうしてAが自分のことを好きという発想に至るのかが逆に分からないくらいです。ACDEで一緒に遊んだりもしてたらしくて笑ってしまいました。しかもACが付き合ってたことをDは知らなかったらしい。どういう気持ちで遊んでたんだよ。AもCもここに書ききれないくらいに特殊な人間なんですよね。それはそれでお似合いだと思うんですが、この話を聞いて私はCのこともなんだか怖くなってしまいました。今日喋る機会があったんですがどんな顔すればいいんだってなった。しかも別れて半年経つのに未だに拗れているらしい。かと思えば一緒に遊んだり帰ったりわけがわからないよ。世界には不思議な生き物がいるんだなあと思った話でした。