威風堂々

春から社会人

豊かな生活

日曜の昼下がりに紅茶を飲みながら勉強をする。これは10人いれば9人は豊かな生活だと言うと思う。ただ私はこの日曜日はほとんどベッドの上から出ず勉強しながらYouTubeを見て過ごしていた。これは豊かではない。ただこの無駄な時間を過ごせるのもまたある面では豊かなのかもしれない。これは精神的豊かさだろう。ただ何かを買うという行為は物質的豊かさでもあり、精神的豊かさでもあるように思う。

 

新しいものを買うとやる気が起きるもので、私も一人暮らしを始めた時は何か新しい家具なりを買う度にやる気が出ていたものだ。それは勉強でも同じで、新しい参考書を買うとしばらくやる気が出る。私は刑法各論を2回生の後期で落としているため絶賛今期再履中なのだが、金曜日に新しい教科書を買ってから刑法のやる気に満ち溢れている。これで今期は落とす気がしなくなった。憲法もゼミを取ってまで取り組んでいるのでこのダブル再履は流石に今期は取れるだろう。

 

新しいものを買う、という点では引越しそのものも当てはまる。ここ数日Twitterで呟いているが、今年の8月に引越しをして以来、未だ引越し予定は無いものの家探しが趣味になっている。良さそうな家を見つけて自分がそこで暮らしているのをイメージする。ここにベッドを置こう、本棚はここ、そんなことを考えているだけで楽しい。就職したらこんな家に住みたい、ドラム式洗濯機が欲しい。将来のことは基本的に考えるだけで嫌になるが、これに関してはとても楽しくてやめられない。こうやって考えていると独身貴族も悪くないのではと思ってしまう面もある。私自身は結婚したいと強く思っているが、お金のある独身が広いマンションの一室で優雅に暮らしている、これもまたある種の理想であり豊かさなのは間違いない。

 

先日宮崎で新しくチェスターコートを買ったが我ながらいい買い物をしたと思う。毎日ウキウキで着て行っているし、外に出かけるのが楽しくなった。合わせる服のことを考えるのも楽しい。以前は身だしなみなんか気を遣わなかったが最近は服だったり、髪だったりそれなりに気を遣っている。モテたいと言うよりはやっぱり人に好かれたいのだ。人に好かれた時に初めて自分と和解できる気がする。私はもう何年も自分のことが嫌いだし仲良くできていない。

 

新しいものはいずれ新しく無くなっていくのが当然なわけで、新しいものに触れた時の豊かさは一過性のものだ。私の結婚したいという欲だって結婚という未知のものへの憧れで、手にしたら最初は新しい結婚というものにワクワクするのだろうが段々それも失われていくのだろう。そしてそれは世間でよく見られることかもしれない。

 

失われる豊かさなら最初から無くてもいいとも思わなくもないが、これを追い続けることが人間として生きていく中で大事なことなのかもしれないとも思う。何かを求めなくなった時点で終わりだと思うし、それが許されるうちは貪欲に生きていきたいなと思った。

 

 

 

探せ ダイヤモンドリリー

探せ ダイヤモンドリリー

最近かなり=Loveにハマっている。割とずっと好きだったが最近特に熱が上がっている。この間友人が青春サブリミナルをアニソンっぽいって言ってたのでやっぱりそういうのが好きなのかもしれない。私は探せダイヤモンドリリーが1番好きだが、アップルミュージックでは意外と上の方にない。思えば先日書いた同僚のAさんに勧められて私は=Loveを好きになった。懐かしいことを思い出した。

 

半年くらい前のブログを読み返したのだが今と言っていることが全く違って面白かった。

 

最後になりますが今日は推しさんの誕生日です。おめでとうございます。良い1年をお過ごしください。