威風堂々

春から社会人

小倉唯さんのライブに行って

ライブの感想が半分、思ったことをただ書き殴ったのが半分です。

 

小倉唯さんのライブに行ってきました。FC先行は私がサークル辞める前だったので行けるのは大阪じゃなくて日曜の滋賀になったんですけど。まあ結論から言うとめちゃくちゃ良かった。Future Strikeが干されたのだけ少し残念だったけど1月にアニマ大阪で回収してるし家虎を聞かなくて済んだのでまあ良しとします。それ以外のセトリは本当に完璧だった。昨日無かったRaiseとドキドキラビリンスがあったのはマジで神だった。それ以外にも冒頭で白く咲く花、ハイタッチメモリーHoney Come、Baby Sweet Berry Loveとかほんとに暴力的なセトリでした。アルバムの新曲もほんとに楽しかった。次のシフトが出ないとなんとも言えないんですが幕張のファイナル行けたら行きたくなりました。小倉唯さんってほんとにプロなんですよ。今回単独ライブは初参戦だったので今まで映像でしか見たこと無かったんですが、映像で見ていた小倉唯さんはライブでめちゃくちゃ歌が走ってる印象だったのにそんなことは無くてめちゃくちゃうまかったし、踊りもさすがキレッキレでダンサーにも劣らないレベルでした。改めて小倉唯さんは可愛いだけじゃなくて尊敬できる人物だなあと思いました。

 

 

 

 

こっから雑記です。昨日もだったらしいのですが1曲目が白く咲く花だったんですよね。これは小倉唯屈指のエモ曲で私が一番好きな曲です。ライブで聞きたいとも思っていた曲です。それがいきなり来て本当なら泣いてもいいところのはずだったんですが泣けなかったです。嬉しくはあったけどなく気配は一切なかったんですよね。これは思い入れの問題でしょうか。内田真礼さんの現場に行くようになってはや三年目ですがこちらは正直なんの曲が来ても一曲目から泣きっぱなしなんですよね。ところで内田真礼さんのライブがやっぱり特別なのか、小倉唯さんのライブに今後も行っていれば泣けるようになるんでしょうか。私は内田真礼さんはもう比較的古参なんじゃないかと思うんですが、TrySailとか小倉唯さんはほんとに新参なんですよね。オタクが現場に新参するのってほんとに大変なんですよね。今回も私自身もめっちゃコールとかしましたけど正直周りにかなり圧倒されました。人気アーティストになるほど新参古参ははっきりしてくると思うんですけど論争するまでもなく正直気持ちとかで結構差があるんじゃないかと思っていましたし今日改めて感じました。

小倉唯「ホップ・ステップ・アップル」リリイベ大阪

今日は小倉唯さんのリリイベに行ってきました。内田真礼さんの写真集と小倉唯さんのパーソナルブックを合計16万円分積んでしまったのでアルバムは1枚しか買わなかったんですけどなんとキャパ150の会場を当ててしまいました。しかも熱量(もとい貢いだ金)を評価してくれたのかなんと座席番号1番でひっくり返ってしまいました。オタク歴5年くらいですがこんなことは初めてで、行けると決まった瞬間から狂乱してしまいました。f:id:stella-l:20190317150027p:plain

果てはフォロワーに何話そうか聞いたらこれを引っ張り出されました。さすがにきもすぎるので却下です。

 

ということでいざ本日アニメイト大阪日本橋へ!余談ですが噂に聞いた通り女性が意外と多くてびっくりしました。TrySail現場とか男だらけで地獄なので…キンレコのスタッフさんの掛け声で「ゆいちゃーん!」とみんなで叫ぶと小倉唯さんが顕現なされました。生で見るのはアニマックス大阪以来2か月ぶりだったのですがこんなに近くで見たのは初めてでした。座席から5mくらいのところに小倉唯さんがいてここは天国か…という気持ちでした。

 

ということでまずは全体トークから。20分程度だったので覚えてる範囲で書きます。多分これでテーマ的には全部だったと思います。

 

〇アップルガールについて
唯ちゃん「昭和の方とアップルガールの方どっちが好き?」
キンレコスタッフさん「昭和の方が好きな人?」(あんまり手あげない)
会場「昭和の方って攻めてる方?」
唯ちゃん「そう!攻めてる私と守りに入った私どっちが好き?」
スタッフさん「攻めてる方が好きな人?」(結構手が挙がる)
唯ちゃん「さっきより増えてる~笑」
スタッフさん「守りに入った方が好きな人?」(結構手が挙がる)
唯ちゃん「みなさんどっちでもいいってことですね~笑」(会場笑)

 

〇ピーナッツ!の作詞について
俊龍さんはインディーズの頃からお世話になってて親みたいなものだから遠慮せずに書けた。遠慮しろって感じですけど(笑)カラオケで歌って作詞小倉唯、作曲俊龍、編曲大久保薫のかっこいい並びを見て欲しい(笑)

 

〇アップルームについて
他のは大体1発OKだったんですけどショコラは何回も撮り直した。前髪が重力に負けちゃったりとか(笑)私作られた作品も好きなんですけど自然なNG集みたいなのが好きなので作って欲しい。ライブに来てくれたお客さんにインタビューして後でそれを私が見てニヤニヤするとかしたい(笑)

 

〇大阪について
昨日大阪でお好み焼き食べて神戸で明石焼き食べた。明石焼きの明石って明石の明石だったんですね(笑)私たこ焼きのたこは抜いて食べるんですけど明石焼きもたこ抜いて食べました。たまごやきですね(笑)卵焼き美味しかったです。家で明石焼き作りたい。
スタッフさん「明石焼きって家で作れるんですかね?明石焼き作ったことある方いますか?」(一人手が挙がる)
お客さん「明石焼き作るセットみたいなのが売ってるんです」
スタッフさん「どこで買えるんですか?」
お客さん「神戸とかあと通販でも」
唯ちゃん「私通販とかよくわかんないからな~」
スタッフさん「じゃあ一度会社で買ってから...」
唯ちゃん「経費で(笑)私も一応社長なんですけどね(笑)そういうの分からないので部下に任せます(笑)」

 

で、小倉唯さんは一旦袖にはけてお渡し会の準備へ。その間にオタクたちは整列させられて荷物を預かってもらい、手を消毒させられました。内田真礼さんのハイタッチ会の時は消毒すらなかったのでキンレコが厳しいのかこれが普通なのかどうなんでしょうかね?車いすの方がいたのでその方に先にポスターを渡して、1番の私からお渡し会スタートです。喋った内容はツイートの通り。

これはアニマックスでStarry Wishを聞いてからこの感動をどうしても直接伝えたかったので結局この話をしました。2か月越しでやっと言えたので良かったです。

 

まあ結論としては小倉唯さんめちゃくちゃ可愛い!ということに収束するんですけどね。気持ちを新たにしたのでバイトを頑張って今年ももっと貢いでいきたいと思います。まずは4/7の滋賀公演までがんばりんご!がんばり豆大福!(OvO)

 

それにしてもほんとかわいかった…

レジ袋は「結構です」「いりません」/「お願いします」「ください」で答えましょう

先月からバイトしてるんですが態度の悪いお客様が多くて辟易しますね。接客バイトをやると自分はいい客であろうとするようになるというのは本当でした。自分が買い物をするときは店員さんのストレスにならないように、感謝の気持ちを忘れずにという意識でいます。皆さんももっとサービス業の人には感謝する気持ちを持ちましょうね。お客様は神様というのは店員さん側が使う言葉であって、お客様側がそういう態度なのはほんとにやめてほしいですね。

 

さて、昨今レジ袋が有料の店も増えてきましたが、レジ袋関連が本当にひどい。店員側の視点から「レジ袋はご利用ですか」と聞いた時の辞めてほしい回答について書こうと思います。

 

1位:ぼそぼそと言う

何言ってるかわかんねえんだよ!!!!!

しかもそういうお客様に限って聞き返すとキレがちなので…

 

2位:「ええ」「いえ」

聞き取れねえよ!!!!!どっちだし!!!!!!

お願いだから聞き返したときにキレないでください…何人もそういう人がいると結構傷つきます…

 

3位:黙って自分が持っている袋を指さす

なんだその態度は!!お前は神のつもりか!?

しかもこれやってくる人は大体態度から苛ついてるのが伝わってくる。そもそもレジ袋持っていたって追加で必要な人もいるし聞くことになってるんですしそれくらい許してくださいよ…せめて口で意思表示してください…老害ご老人にありがちですけどこれ一番イラっと来るのでほんとにやめてください

 

4位:「はい」「うん」

これ一見まともな回答のように聞こえますが、「はい、いらないです」というのが続くことが多いんですよ。ご利用かを聞いてるので紛らわしいこと言わないでください…ありがとうございました。あと短いので普通に聞き取りづらいのもあります

 

5位:「持ってます」「あります」

だから何だよ!?

この回答が一番多い気がします。マシな回答ではあるんですけど質問に答えてください。お客様が袋を持っていらっしゃるかはどうでもよくて袋が必要かどうかこちらは聞いているので…あと、「あります」に関しては「いります」っていう理想的な回答と聞き間違えるので本当に害悪です、やめてください。

 

 

本当、もっと優しい世界になってほしいです…

 

自分語りして自己啓発本みたいなこと書く

 


Twitterを見ていると後輩たちが合格報告していてもう1年がたったのかという気持ちになった。去年、自分があの予備校のCMとかで子供のころからよく見てきたセンター試験を実際に受けるという状況も十分信じられなかったが、それよりも後輩が受験生であるという状況はついに1年間どうしても信じられなかった。それでもやはり後輩が合格不合格言っているのを見るとああやっぱり受験生なんだなあと思った。時がたつのは本当に早い。そもそも4年前は自分が中学生だったということも到底信じられない。

 

ここからが本題なのだが、私は小学生のころから頭が良かった、というか頭のいい人間であろうと努めて勉強していた。小学生の段階で馬鹿はわかっても上位層はそんなに差がないようにも思うがそれでも私は多分学校でトップクラスに頭が良かったし周りからも頭のいい人間としてもてはやされていた。

地元の中学は地域では有名な不良学校で正直行きたくなかったので親の意思も介在しつつ私は中学受験をすることにして某都立の中高一貫校を目指すことにした。これが5年生の頭のことだ。それまで習っていたテニスをこの時に辞めて塾(ena)に通い始めた。ここでも私はトップクラスに頭が良かった。塾内の月例テストで全国一位をとったこともあった。私は当然自分は頭のいい人間だと思っていたからまあ合格できるだろうと思っていた。だが模試の結果は芳しくなく、結果みじめにも落ちてしまうこととなった。

忘れもしない合格発表日、小学校から帰った私は合格発表を現地に見に行った母が待つ家へと急いで帰った。母は自分で見るように言ったので私はパソコンを開いて受験番号を探したが無い、無い。私は母と二人で泣いた。翌日浮かない気持ちで登校すると別の都立中を受けたやつにどうだったかと聞かれた。どうやらそいつは受かったらしい。私はそいつに答える気力もなく自分の席について、その瞬間号泣した。本当に惨めだった。自分は頭がいいと思っていたし模試が良くなくても心のどこかで受かるんじゃないかと思っていた。それが自分は落ちて自分より頭が悪いと思っていたやつが受かった。悔しくて、辛くてもうダメなんじゃないかと思った。これが私の人生で初めての挫折だった。

結局地元の公立中に入学し、3年が過ぎた。定期テストでは学年1位をとり続けた。今思えば自分の力を示すことに病的なほど固執していたようにも思える。私の目標は中学受験で自分が落ちた学校に行ったやつよりもいい大学に行くことに定められていた。いわゆる学歴コンプレックスというやつである。私は都立高校が第一志望だったのだが、このときは本当に余裕で合格してやろうという気持ちでいたし実際模試も余裕の判定だった。中3から通っていた塾(河合)でも最上位クラス内で1位をとり続けていたし、今度こそという気持ちに満ちていた。ということで力試しに某應高校と某芸大附属高校を受けることにした。結果は慶某高校は学力試験は突破したものの面接が苦手なので案の定失敗して不合格、学某大附属高校に至っては学力試験すら突破できなかった。都立高校はちゃんと受かったから良かったものの私はここでまたも挫折を味わうことになった。これだけ勉強しても受からないなんて自分は本当は大したことない並の人間なんだろうなという気持ちにまで至った。

高校に入学してからの私は腐っていた。自分は大したことのない人間だと思っていたから勉強も最初は全力でやっていなかったし、試験はまあ良いんだけど最上位というほどではなかった。それが自分の実力なんだと笑って受け入れてもいた。私が再び奮起したのは最後まで受験を支えてくれた某先生との出会いがきっかけだったのだがそれは割愛する。私はもうあんな惨めな思いは二度としたくないと本気で勉強するようになった。また学年で1位をとれるようにもなった。塾にこそいかなかったが寝る間も惜しんで勉強した。今度は全国模試で1桁の順位をとれるレベルまで持って行った。本当に死に物狂いで勉強した。そのおかげで私は今京大に通えている。東大じゃないのかよってなるかもしれないが私は京大が良かったからこれでいいのだ。

 

まあ何が言いたいかって世の中には挫折しない人間もいるんだろうが大抵の人間は壁にぶつかるしそこで挫折するけどそれも含めて全てが今の自分を作ってるんですよ。挫折した人間はその悔しさを知ってるから頑張れるし、強くなれるんだと思います。私が中学受験をしていなかったら、高校受験で落ちていなかったら今ここにはいなかったかもしれません。私は浪人していないので偉そうなことは言えませんが大学受験の失敗だっておそらく今後にもっと言えば来年に生きてくると思います。腐らずに頑張ることが大事ですよというお話でした。私はちょっと努力ができるだけの凡庸な人間ですが何とかなったので。

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余談ですがアイカツ面白いですね。この画像は知っていたんですが、アイカツというのはなかなかにカオスなアイドルアニメで笑ってしまいます。美月ちゃんとのライブのリハーサルでいちごちゃんがスペシャルアピールを1回しか出せず落ち込んでいた時に美月ちゃんが悔しさを知ったから…みたいな同じことを言っていました。ふざけたアニメなのに時々いい話するアニメは好きです。

京都と「京都」

数日前に京都に来る日本人観光客が減り続けているという記事が話題になっていた。Twitterで検索してみるといろんな人が好き勝手なことを言いまくっていた。「外国人観光客ばかりを受け入れてきた結果だ」とか「外国人が多すぎて風情がない、行く気にならない」とか挙句「外国人はいらない、追い出せ」だとか(←この最後の意見は最早風物詩みたいなものですね)。

私は実際京都に住んでいるのだが、確かに外国人が多いという印象はある。バイト先にもよく外国人が来るし道端を歩いていてもよく見かける。これは余談なのだが、日本語も全く分からないのに日本に観光に来ている外国人は肝が据わっていて凄いなとバイトしていると思う。

話を戻そう。私が京都に来たのは単純に京都という場所へのあこがれが大きい。初めて京都に来たのは小学校の時の家族旅行、次が中学の修学旅行だった。もう昔のことなので明瞭には覚えていないが、その時に感じた京都に惹かれて私は京都の大学を受験したのだ。その点、私も正直外国人観光客と変わらないミーハーである。京都と言えば日本史のメインの舞台、古都、日本史好きとしては京都に住めるということはかなりの憧れだった。外国人観光客も同じようなものだろう。日本といえば京都、それだけで京都に来ている人が相当数いると思う。

私が大学に入って京都に来た時感じたのは、「あれ、京都らしい京都ってどこにあるんだ?」ということだ。清水寺の周辺は確かに一般人が思う「京都」なのだ。だが1年住んでみて未だに清水寺周辺以外に所謂「京都」を見たことがない。祇園周辺は正直安っぽい歓楽街だなという印象を受けたし、他の観光地周辺も観光地が街中にポツンとあると言った方が正しい表現だと思う。

もしかしたら昔に来た時点で既にそうだったのかもしれないが、京都というのは今は恐らく「京都」ではないと思う。ただ京都は観光産業でもっている街であるのは確かなのでどうしても観光客向けに街が発展していくのはしょうがないと思う。これはジレンマだ。仮の話だが、例えば今外国人観光客を全員追い出したとして多分京都はやっていけない。外国人は完全に「京都」のイメージでいつまでも、少なくとも今は京都に来てくれるが、日本人は恐らく「京都」のイメージで京都には戻ってこない。そこにあるのは人が多い、完全に観光地化した街という印象のみだと思う。観光地化した街ならばそこらじゅうにあるし、京都が生き残っていくためには京都ブランドに縋って外国人観光客でもなんでも受け入れていくしかないんじゃないかと個人的には考えている。最早外国人観光客が大勢来るようになった時点で後戻りは出来なかったと思う。ただ別に何かしなくても外国人観光客は「京都」のイメージで京都に来てくれる、それは大きな強みだ。私もたまに観光客が多すぎて「京都に観光客来ないで欲しい」なんて言っているが、観光客が来なかったら京都が破綻することも分かっているのでもうどうすることもできないと思う。

京都はこのままいずれ外国人が徐々に減っていくと衰退していくのだろうか。

オケを辞めた話

母は大学時代何だったか忘れたが運動系の緩いサークルに所属していたらしいがどうやら幽霊部員もとい幽霊サークル員だったらしい。それはバイト戦士だったからなのだが、そんな母が言うには「サークルなんて辞めたきゃ辞めていい」ということらしい。まあこれは真理と言えば真理ではある。サークルに限らず部活でもそもそも自分からお金を払って所属しているものなのだから本来的には辞めることに関してとやかく言われる筋合いはない。まあ実際には人間関係とか役職持ちだったりとかいろんなしがらみで簡単には辞められないものですが。

私はオーケストラに所属していたのだが、この間辞めた。大学オーケストラという団体は団体にもよるだろうがなかなか難しくて、部活ではないがだからと言ってサークルと言うには厳しすぎる。お金も取られる時間もいわゆる緩い人間関係重視の「サークル」とは段違いである。そもそも私が大学オーケストラに入ったのは、高校で楽器をやっていたので新しいことを始める勇気もないし音楽を続けようというのが一つ、そして単純にオーケストラに憧れがあったのが一つ。私が高校時代に所属していた部活は室内楽でオーケストラもどきだったのでオーケストラをちゃんとやってみたかったのです。

私は小学校時代にはテニスと実験教室に通い、クラブ活動では囲碁将棋→手芸→卓球という遍歴をたどり、中学ではそのまま卓球部に所属、高校では楽器を始めました。卓球も楽しかったですがどこか漫然とやっていた感がありました。その点高校から勇気を出して始めた楽器はとても楽しくてもっとうまくなりたい、続けたいと思えました。

4月末の入団時点ではめちゃくちゃやる気がありました。6月の定演、めちゃくちゃうまくて感動しました。定演が終わって夏の演奏旅行。実際にオーケストラの中で演奏する体験はとても楽しかったし、やっぱり定演に乗りたいなと思いました。この気持ちは紛れもなく本物でした。それで迎えた次の期。私はメンバーに選ばれませんでした。まあうすうすは思っていましたが同期で一人上手い人がいて彼だけがデビューしました。正直に言うとこの時は家で泣きました。実力が足りないのはわかっていても定演に乗りたくて入ったのでやっぱり悔しかったし、どこか乗れるんじゃないかと考えていたところがあったので。大学オケ最高峰ということでみんなうまいんですよね。私と同じく高校から楽器を始めた人が大学2回生でトップをやっているくらいです。こういう言い方をしたくはないですが私の高校時代の楽器経験は遊びみたいなもんだったんだなという現実を突き付けられました。高校から始めても基礎練をしっかりやって、先生について熱心に練習していた人たちと、楽しもうみたいな気持ちでやっていた人とは同じ年数でも技術に開きが出るのは当然です。ここら辺から私のオケ生活に影が落ち始めます。次の期こそ乗ろうと気持ちを新たにしたのですが定演に乗れない期の間は目標がなくてやっぱりだれてしまう。1回生の中ではトップクラスに自主練に行っていたつもりでしたがうまくなっている実感が持てない。深夜練で体力的にも疲弊する。精神的にもだんだん追いつめられる。その4か月で気持ちがだんだん離れていきました。吊り橋効果的なものでこのままだとオケの辛さが楽器の辛さに置き換わってしまうような気がしました。

辞めたのにはお金の問題もあったのですが、結局本当にやりたいことをやっているときってお金なんて些細な問題なんですよね。お金がもったいないと思い始めた時点でもうダメ。この1年弱で私はオケに10万以上払ったんじゃないかと思いますが、やっぱり楽しかった時には出費が辛いとは思ってももったいないとは思わなかった。でも最近はいろいろあってもうオケにこれ以上お金を払いたいと思えなくなってしまった。そういうことです。

これがきっかけだという出来事があるならば、内田真礼さんのサイン会がオケの練習日に決定したことでしょうか。うちのオケは練習をある程度自由に休むことすらできなくて、当然サイン会なんかじゃ休めないことが容易に想像できました。よくも考えてみればお金を貰って働いているアルバイトは希望すれば理由の如何を問わず休めるのに、高額なお金を払って所属しているオケは忌引きか体調不良でしか休めないというのもおかしな話でした。4月ならばともかく気持ちの離れていた最近の自分では推しのイベントよりオケが大事だとはどうしても思えませんでした。他にもこの団体が練習や総会に関しては時間に厳しすぎるくらいなのに逆にそれ以外に際しては適当すぎるところなど細かい不満は蓄積していました。

辞めてしまって今となっては時間を持て余しているところはありますが、それでも今まで辛い思いをしてサークルに行っていたのが馬鹿らしくなるくらい生活が快適です。過去を後悔してもしょうがないですし、オケに入ったのが間違いだとは思いませんが辞めたのは正しかったと思います。一つ言うなら楽器はまだ続けたかったですがおそらくこの先弾く機会がないと思うのが残念です。

高校までは部活に入るのがある程度スタンダードみたいなところがありました。中には所属を強制する学校もあると聞きます。大学でもサークルや部活に所属する人が多数派ではありますが、高校までよりは格段に所属しなければいけないという風潮は弱いです。4月5月でサークルに所属しない決断をするのはなかなか勇気がいるかもしれませんが、前も書いた通り何に時間やお金を使いたいかを考えた上で慎重に決めることが大事です。別にサークルに所属しなくても人間関係は作ろうと思えば作れますし、最悪人間関係が作れなくてもそこまで困りません。過去問が手に入らなくても試験は別に乗り切れますしね。

新大学生は失敗しないようにしてください。新歓でただ飯食うだけ食ってサークル入らなくたって何の問題もないんですから。所属するなら最低限、活動日、休めるか、費用くらいは聞いておきましょう。オケが実際そうでしたが都合の悪い情報(例えば普段の練習以外に深夜練があること、突然練習日以外に練習が入る可能性があることなど)は隠している場合があるのでそこははっきりさせておきましょうね。

永瀬伊織は可愛いなあ

 

 

この間、なんとなくdアニメストアココロコネクトを見た。本当になんとなくだったんだけど、今まで見たアニメの中で一番衝撃を受けた。それはもう価値観が崩落していくぐらいには。けいおん!を見たときも同じようなことを思ったが、今回はわけが違う。人生の根本、生き方に関わるところで本当に衝撃を受けた。これは原作も読まなければならないと、使命感に駆られ、使ったこともないKindleを初めて利用して、とてつもない速度で11巻分読み切った。好きかと聞かれると確かに好きだけど、誰かに勧めたいとはそこまでは思わない。興味があるなら読めばという感じ。本当は読まなければよかったけどどうせ読むならもっと早く読んでおけばよかった。そんな作品だった。ただ間違いないのは、この作品は自分の大切なものの一つとして加わるくらい、すごい作品だった。

 

この物語はいわゆる典型的な青春群像劇だ。物語の中で語り手も変わる。一応主人公は八重樫太一なのだが、それでもこの物語はやっぱり永瀬伊織の物語だ。そしてこの作品を読んで、アニメを見て、永瀬伊織という人物が本当に好きだなと心から思った。それは容姿から性格まですべて含めて好きなアニメキャラクター1位って言えるくらいに好きだ。永瀬伊織という女の子はとても可愛い。「学校一」と評され、ミスコンで優勝するくらいに。運動も勉強も人並み以上にできる。そして何より人当たりが最高にいい。ただ彼女と同じ部活、文化研究部の面々は初対面の頃に彼女に対してそれ以外の印象も抱いていた。八重樫太一曰くそれは「形容し難いなにかもやもやしたもの」であり、桐山唯曰くそれは「たまに暗い影を感じる」であり、青木義文曰くそれは「『あれ?本当に楽しいと思ってるのかな?』」であり、稲葉姫子曰くそれは「太陽……というよりは人工的な照明」「なにか、腹の中に秘めているものがある」であった。ただそれは少なくとも八重樫太一、桐山唯、青木義文にとっては気にならないことだった。永瀬伊織は彼らにとって「強い」人間だったのだ。それは他のクラスメイトも含め共通の認識だった。

だが文化研究部に「現象」が起こるようになって事態が一変する。各人が「現象」を通じてトラウマを克服し、仲間とぶつかり合って成長していく、文化研究部もその絆を本物にしていくのだが永瀬伊織の問題は根深い。というか本来はそれは問題にならないことなのかもしれない。というのも永瀬伊織の「問題」は確かに度が過ぎてはいるが、あくまで普通なのだ。最初は人格入れ替わり現象。ここで永瀬伊織は八重樫太一に「問題」を告白する(ちなみに物語開始以前の時系列の短編で永瀬伊織は稲葉姫子にそのことを告白している)。それは「本当の『わたし』を……どうやら忘れちゃった」ことである。彼女は家庭環境のために人に気に入られるように生きるようになる。つまり「誰かが望む『わたし』として生きてきた」ために本当の自分を見失ってしまったのだ。それに対して1巻「ヒトランダム」クライマックスで八重樫太一はその顔のすべてが永瀬伊織であるとして肯定する。そして「そんな」永瀬伊織に対し、八重樫太一は告白する。これ以降永瀬伊織は自分を確立したかに思えた。次に起こる欲望解放現象。永瀬伊織は散り散りになる文化研究部をあくまでまとめようとして奔走する。ここにおいて永瀬伊織は解決される側ではない。むしろ2巻「キズランダム」クライマックスで永瀬伊織は稲葉姫子に対して「わたしはどんなぼろぼろの稲葉んでも好き」と稲葉姫子を肯定するのだ。その次に起こる時間退行現象。ここで永瀬伊織は家庭のことが絡み、再び闇を見せる。過去をやり直せるならやり直してもっとうまくやりたい、と。永瀬伊織はこの時点でまだ「うまくやる」ことにこだわっている。これが後で尾を引くのだが。3巻で八重樫太一は永瀬伊織の本質に近づく機会があった。しかしあくまで八重樫太一の永瀬伊織に抱く印象は「明るい笑顔とか、元気な姿」である。

そして4巻「ミチランダム」において感情伝導現象を通じて、「永瀬伊織」はついに崩壊する。そして本編が始まる前の冒頭における「やっぱり違う。これじゃない。もう上手くはやれない。」という独白に至る。明るく、元気で、皆と仲の良い『永瀬伊織』は鳴りを潜め、皆が思う『永瀬伊織』とは異なる面が現実に表出するのだ。そして文化研究部の面々は永瀬伊織に対して「あまりにも変わってしまった」「おかしくなってる」「キャラじゃない」と恐怖さえ抱くのだが、結果理想像を押し付けていたことに気づく。永瀬伊織は他人に期待される自分を演じることに、単純に言えば疲れてしまった。だから「元に戻るもクソもない」。この解決は本当に単純に言えば「期待に完璧に応える必要がない」ということだった。これを機に永瀬伊織は復活し、本当に成長する。悩む子供を導くという夢を見つけ、無理のない範囲で「永瀬伊織」を継続させるようになった。時間が進みいろいろあるのだが、それは原作を読んでいただくということで(ちなみに4巻までがアニメ化の範囲、ここが山場なのでアニメだけでも十分楽しめる)、最終巻の最終章は完全に永瀬伊織の目線で描かれている。そこからもやっぱりこの物語は永瀬伊織の物語だったんだなと思う。

さて、紆余曲折あってきれいに完結したのだが、永瀬伊織の問題は根本的には解決していないように思う。人間誰でも度の違いはあれども演じている部分はあるはず(だと思う)。人に合わせるため、そっちの方が生きやすい、いろいろ理由はあると思うが、実際そこまでひどくないにせよ、たまに何してるんだろうな自分って思いませんか?私は思いますよ。で、結局いつもと違う自分を出すことが怖くなる。それに対して出された答えが、完璧に期待に応えようとするな、たまにガス抜きしろというものだが、それは演じていること根本の解決策にはなっていない。言ってみれば脇道的な解決でしかない。実際永瀬伊織はそれで復活したわけだが、以降本質的な自分を表出できたのか、と聞かれればできている描写は無かった。そりゃ人間関係の円滑化的な面から言っても完全に演じることを放棄するのは望ましくないが、だからと言ってもう演じれないと言った人間に息抜きしながらがんばれはないんじゃないだろうか。というか本当の自分って考えてみたらなんなんだろうか。本当の自分っていうイデアが存在してそこからどれだけずれているかなんて尺度は存在しない。そう、この問題はおそらく解決策なんてない爆弾だろう。可能なら触らない方がいい。4巻において(1巻でもその片鱗は見せているが)永瀬伊織はかなり本質的なことを言っている。

人間が今までと全部変わったら、どこに対して友達でいたいと感じるのか。それはもはや別人なのに。過去に仲良くした事実があればその人がどれだけひどい人になっても友達なのか。

これに対する解決シーンでの回答は「理屈とか理由はどうでもいい」。これに関しては本当に釈然としない。すべてに論理性を求めるわけではないが、これは回答になってないだろ…

とまあ爆弾を投げつけていかれたので、ここ数日ずっと陰鬱としている。そういう意味で価値観を崩壊させられるだけさせられて放置されている状態。この作品は人間の内面部分に切り込んでいるのでそういう意味ではかなり波長が合った。個人的に人間のどろどろした部分を外から見るのは好きなので。これから生き方を変えようとかそういうのではないんだけどこれから頭の片隅に爆弾を抱えて生きていくんだろうなと思うと少し辛い。ますます拗らせそう。

 

あ、あと扱っているテーマこそ結構面倒だけどこの作品は気持ちいいくらいの青春です。青春コンプレックスの人間的にはとてもうらやましく見えました。全幅の信頼を置ける部活内の親友と恋愛と。もう手に入らないので余計にないものねだりしたくなります。